明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

路上の鼠

道行く人は比喩じゃなく10人中10人マスクをしている。

大人も子どももしている。

使い捨てのマスクをしている人もいれば、ウレタン製で洗って使い回せるものをしている人もいる。

 

たまにマスクをせずに外出すると目立っている気がする。

すれ違う人にチラチラ見られている気がする。

人権を喪ったような気がする。

 

夕方になって買い物に出た。

幹線道路の横の、小さな横断歩道を渡ろうとしたときに、途中に小さな何かがうずくまっているのが見えた。ピンポン玉よりちょっとだけ大きい。手のひらサイズの焦げ茶色の毛玉。

丸めた体よりも長い尻尾が延びている。

鼠だ。

 

小さな鼠が横断歩道の真ん中で肩をすぼめている。

ちょっと近づいてしゃがんで見てみても逃げ出そうとしない。

都会の鼠は人間に慣れきって警戒心がないのか、ひっくり返った晩夏のセミのように命が尽きかけていてもう身動きが取れないのか、眠いのか。

コロナウイルスが蔓延している世間で、この生死不明の鼠を鷲掴みにして移動させる勇気はなかった。

左小指のつま先だけを出して、おそるおそる腰のあたりを突っついてみる。

毛が触れて柔らかい。

鼠は触られてようやく、まぶたをしぱしぱと上下させて、潤んだ瞳を見せたあと、物憂げに2~3歩動いた。

 

それはふつうなら俊敏な動きを見せる都会のドブネズミとはかけ離れた緩慢な歩みで、生命力が感じられない。すぐにまた横断歩道上に止まって動かなくなってしまった。

やはり死にかけているのかもしれない……。

蹴飛ばして強引に動かすのも気の毒だ。

関わるのはそれでやめにして信号が変わる前に横断歩道を離れた。

「あら、ネズミだよ」

「こんな仔ネズミならかわいいもんだね」

おばさんたちがそんなことを喋っているのが背後から聞こえた。

歩道には高い街路樹が並んでいて、その枝がパラパラと落ちている。

そうだ、この枝で突っつけば、あの鼠を穏当に道路上から動かすことができる。

どこか植木の根本の土のあるところに動かしさえすればあとは鼠の自由だ。

 

10メートルくらい歩いてそう思いつき、振り返ったら、横断歩道に何か社名を付けた白い軽自動車がゆっくりと侵入してきて、

「ああ」

鼠を踏みつけて、そのまま行ってしまった。

横断歩道の上には、遠くてよくわからないけど、小さい毛玉が動かなくなって横たわっている。

 

表情のないドライバーは遠くを見ていて、道路上の仔鼠になど気づかなかった。

目の端にとらえていたとしても、枯れ葉か小石くらいに思っただろう。

横断歩道を確かめることはしなかった。タイヤが鼠の上を通った瞬間、ポンとか、パンとか、そういう音がした。

その結末を直接確かめる気にはとてもなれない。

手の中に意味のなくなった枝がある。街路樹の根元に投げた。

 

 

ただでさえ暗い世相のなかで目の当たりにした小動物の死は、腹を殴られたようにこたえる。

俺は人間でいるのがいやになったよ。