劇場版『SHIROBAKO』再編集版を観てきた
劇場版SHIROBAKOの再上映が昨日から始まっていたので観た。
監督の公式Twitterによると、700カットくらい作り直し、劇中作は再撮影を行っているとのこと。
https://twitter.com/tsuki_akari/status/1296043693154082818
もちろんストーリーは変わらないけど、おそらく最も作り直し部分が多かったのは、(あたかも作品にリンクするように)物語のクライマックスである『空中揚陸艦SIVA』の部分。
キャラクターたちが絶望的な状況であがき、戦う姿、仲間たちを信頼しあっている様子がより深く詳しく描かれている……気がする。ツイートではアフレコをしたとは書いてないけど、セリフも増えている……気がした。
気がするというのは、何しろ最初の上映版を観たのはかれこれ半年前くらいになるわけで、細かいカットが増えたとかちょっと書き込み増えたとか、そこまできちんとはわからないので。
どういった意図でその直しが行われたか。
もちろん、作中にあるように、よりクオリティーを上げるためというのはあるだろうと思う。
しかしそれ以上に、本作の持つテーマである“再生”(映画によくあるテーマ)というか、“絶望的状況下でも精一杯やる意味、働く意味”というところを強化してくっきりさせてた気がする。
劇場版SHIROBAKOは新型コロナウイルスの影響を受け、興行収入は期待ほどにならかったことと思うが、変な話、代わりに再上映版を作ることで社会性と時代性を得た。
この半年で社会の状況は激変した。
言うまでもなく新型コロナウイルス蔓延のせいだけど、仕事や業界によっては、洒落にならないくらい悪影響が出ていると思う。
人によっては絶望して、絶望というと大げさだけど、何もやる気がなくなる……すくなくとも「がんばってもどうしようもなくない? 無意味じゃない?」というボヘミアンな気分に陥ってしまうことはあると思う。
だけどそれでもやらなきゃいけない。
状況が絶望的であることは、自分が絶望を受け入れる理由にはならない。
そういうことがしつこいくらいに繰り返される。
そこに作り手の意思を感じる。
再上映版を作るとなったときに、何のために作るのか。
スケジュールを考えると、再上映版の制作は、コロナウイルスが蔓延するなか行われたはずだ。
社会がこんなになった中で何を創るのか。届けるべきなのか。
そう問いかけた上で作り直された『劇場版SHIROBAKO』は、当初の上映版よりもさらに、再生の物語であること、絶望の淵から立ち上がることをより際立たせて描く。
宮森あおいがカウント9から立ってファイティングポーズを取る。スタンド・アンド・ファイト。立って戦う。ひたむきにアニメを作る。
(でも、作中でいちばん立ち直ったのは宮森あおいというより、劇場版でいちばん株を下げたダメ男こと遠藤さんかもしれないなあ)
幸いにして仕事ができる人はその仕事をまっとうしなければならない。
死ぬときは前向きに最後まで戦って前のめりに死ぬべきだ(坂本龍馬と星飛雄馬もそう言っていた)。
最初に上映された2月、新型コロナウイルスはまだ、そこまで、ギリギリ、大丈夫だった。舞台挨拶はすべて中止されたり、特典の配布も途中で終わってしまったけど、公開日が延期されたり上映中止になることはなかった。
そのころ映画を観た人は、もちろん謎の新病に驚異を感じつつも、その後の半年を予測していなかったと思う。「まさかこんなことになるとはなあ」と感じている人ばかりのはずだ。
いまこうなってこそ強く感じる。
劇場版SHIROBAKOは再生の物語だ。
打ちひしがれた人が再び立って戦う物語だ。
辛い状況にある人への励ましと、自らの決意、決心を叫ぶような誓いを強く感じるようになった。
テーマがより強く打ち出されて、グッと来た。
上野アメ横のお菓子のたたき売りみたいに、ややヤケクソ気味に作られたと思われる特典配布物をまとめたセットをこれから開封しよう。