明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

がんばらなくても いいからね

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具体的に 動くことだね
            みつを







池袋駅(だったかな?)で見つけたポスター。
陪審員制度のPR……とおもってたら「裁判員制度」って書いてあるね。
陪審員と違うの?名前だけ?

ともかく。
使われてる相田みつをの書がいい感じ。
なかなか良いと思います。
タイトルも相田みつを
好きな言葉。







大河ドラマの話。
功名が辻
が気に食わない。

原作を読んでしまったばっかりに、脚本家の思惑が入りすぎてるのがようくわかる……
六平太(忍び)が千代(一豊の妻)に
「一豊が大怪我をした」
と伝えるシーン。

夫の生死が危ういという情報に、当然うろたえる千代。
それを「祈るしかない」と制して言う。
「お前の亭主に首を切られた武将の妻子も、祈ってるんだ。それが戦(いくさ)だ」

……六平太って忍び(戦がないと商売あがったり)のくせに反戦主義者なの?

放送開始直後の
「千代は戦が嫌いです!」
って一豊にいうセリフからも感じたことだけれど、

脚本家の大石静は絶対非戦反戦論者だ。
いやね、それは別に良いんですけど。

こ の 時 代 の 武 将 の 娘 が 反 戦 主 義 者 な わ け あ る か !

と思わなくもない。



原作で千代は、一豊の武断的やり方に反対する時もあるけれど、それは
「北風と太陽」の話で、要は「力でやるより他にもっと良いやり方がある」と主張しているのであって、
けして反戦でやってるわけじゃあない。

今週は、奮戦した一豊がその功を認められ、200石に加増される話だったんだけども、
そのあとに「千代、これでひもじい思いをさせなくてすむぞ」と語っているように、
戦国時代の武将が戦にでるのは、「仕事」であってそれ以外の何物でもない。
要は働きっぷりが認められて給料上げてもらったわけで。
出世したわけで。
少し功名がなったわけで。
戦に出て功名を上げて出世して喜ぶ。
それがこの時代の普通の感覚なわけで。

戦国時代に反戦なんて叫ぶのは(しかも職業軍人である武将の家族が)、
今の時代で言えば、「働いたら負けかなと思っている」と言うような、たわごとだ。



「一国一城の主になる」
という戦国時代的勝ち組を目指し、ひたすら出世を目指してきた二人が、
ある出来事をきっかけに「サムライやめて出家しようか」と迷うシーンがある。

それまで無邪気に出世を目指してきた二人が、それまでの功名だけの人生に疑問を持って、
悩む。
「……これが『功名が辻』か!」
と得心した。

二人の人生の目的は「功名」だった。
今まではそれで良いと思っていた。
でも、それは本当に正しかったのか――?

と悩むところがあるんですよこの後。

無邪気に出世を望む二人と、そしてその人生に悩み、克服する『功名が辻』は、
勝ち組負け組人生上中下的格差社会拝金主義社会な現代にドラマでやるのに良い素材だなあさすがNHK。
と思った。

けれども、
どうやら脚本家はただ「反戦」を言いたいようだ。
戦争は人が死ぬ。だからダメだ。と。
そりゃあ、人が死ぬより死なない方が良いし、戦争なんて嫌だけれど、
その感覚は(特に太平洋戦争以後の)とても現代的な感覚で、
戦国時代の劇に取り込むべきものではないとおもう。
それでは作品が本来持つ魅力を失う可能性がある。

武士にとって、この時代の戦は「仕事」で、他意はない。
原作はそうなってた。

そこんとこの感覚がドラマにはない。
戦国時代の「いくさ」と現代的「戦争」を同一視してる。
そしてちょくちょく入る脚本家の反戦意識……。
それがいちいち癪にさわる。

あなたの政治思想はどうでも良いですから、ドラマを楽しませてくれませんかね。
せめて原作の改悪はやめてもらえませんかね。

と思うのだけれど、








まあ仲間さんが出てるから観る。

                           と身も蓋も無いことを言ってみる。