明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

I LOVE INDOOR .

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画像は父からの贈り物。
トランクス。
ブルマの息子じゃない方。

なんだか久しぶりの投稿。
まあ色々あったんすわ。
金曜日はサークルで飲みとか。
土曜日はバイトとか。
日曜日はバイトとか映画とか。

あ、そうそう映画『ダヴィンチ・コード』見てきた。
浦和美園のイオンで。
でかい。
なんでそんなところに行ったかというと、友達がその映画館でバイトしてて、知り合いは安く入れるということで。
まあ、
浦和美園までの電車代の方が高くつく」
ということに気づくのは電車の中に入ってからですけどね。

しかもその友人のバイトが終わるのを待ち、レイトショーを見たので終了時刻は11時半ごろ。
深夜。
終電無い。
ちょ、明日は月曜日……。

結局友達んちに泊まって朝帰宅。
まあ授業は午後からなので大丈夫だった。
月曜日の授業を午後からにしておいて、本当に良かった。
四月の俺は賢明でした。

あと途中の電車で『老人と海』(新潮文庫・作ヘミングウェイ・訳福田恆存(なんて読むんだこの人))
読み終わり。感想等は「本」の書庫に。
ダヴィンチ・コード』の感想とかも「映画」の書庫に。ネタバレなし。


友人のバイト終わりを待つ間、本屋で物色。
本を読むのに最適の形態は文庫本だと思う。
ハードカバーなんて、でかいわ高いわ重いわで、初代Xbox並にダメ三拍子が揃ってる。
あんな装丁を綺麗にしても、本(ソフト)の持つ価値は変わらないわけで……
ソフトの価値が変わらないなら、ハード的価値の差がハードカバーと文庫本の価値の差。
その観点で見ると、確かに活字の本が高級品だった時代(19世紀ぐらい?)は、本それ自体が価値を持って、こう、ハードカバーの本を、書斎にどーんと並べて
「俺はこんなに高価な物を持ってるんだぞどうだどうだ」
って時代には本には、今で言う高級車や宝石なんかと同じ価値があったと言える。
けどまあ、今は20世紀まで飛び越えてもう21世紀なので、そんな価値を認めない。
ゆえに「本のハードとしての価値」は「いかにソフトの価値(本質)を邪魔しないか」だと思うのです。
そうするとハードカバーなんて文庫本の足元にも及ばないのです。

まあなにが言いたいかというと、文庫本って安いし小さいし持ち運びできるし素敵よね。
ってことです。
ブックオフで105円だし。
ガソリン1リットルより安い。
一ドルよりも安い。
コンビニおにぎりより安い。
こりゃびっくりだ。

電子ブックだとか、ケータイで読む小説なんていろいろあるけど、文庫本にはまだかなわない。
っていうか今のケータイは、元々の発想が「携帯できる電話」から始まっているだけの物なので、
何するにも非常に中途半端なインターフェイスだと思う。
まあー最近は新しい形のも出てきてるみたいだけど。


えーと、なんだその。久しぶりに書くと本筋以外のことも書きたくなるもので。
本屋では5,000円くらい分の本を購入。
書籍費は惜しまない。
酒代も。
無事奨学金もふりこまれてたし。



映画始まる前。
友人「ああーこれで隣に居るのが女の子なら完璧なのになー」





そりゃお互い様でいいっこ無しだぜ友人。
うるせーうるせー。