明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

老人と海

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解説には「アメリカ文学の弱点を克服した傑作」なんて書かれているけど、
文学がどうとか社会的連帯感がどうのこうのとか関係なく、

おもしれえええええええええええんですよ。





とりあえずあらすじを紹介。
キューバの老漁夫サンチャゴは、長い不漁にもめげず、小舟に乗り、たった一人で出漁する。
残りわずかな餌に想像を絶する巨大なカジキマグロが掛かった。
四日にわたる死闘(!)ののち老人は勝ったが、帰途サメに食われ、船にくくりつけた獲物は見る見る食いちぎられていく……。



てのが裏表紙記載の新潮文庫公式あらすじ。
っていうか
>帰途サメに食われ、船にくくりつけた獲物は見る見る食いちぎられていく……。

って書いちゃうなよ!
ネタバレじゃん!
こう、四日間の死闘をある意味「前置き」にしちゃって、物語的な大団円をサメに食わせることで
「かくも自然は厳しいのだ」
という作者の主張を不意打ちのように読者に浸透させるってのが本来的な、作者の意図したやり方じゃないの!?

と思った。
ブックオフで裏表紙を見た時は。
ところがどっこい。
いまどき「ところがどっこい」もないだろうと自分に対しても思うけれど。

まあもちろんそういう作者的意図もあるんだけれど、それ以前に、作品としてちゃんとおもしろいということに驚いた。
だいたいタイトルからして「老人と海」だ。
どこに面白い雰囲気があるだろうか。
もしこれを現代映画か小説のタイトルにしようとしたら編集者に「地味すぎ」といわれて終わる。
改題『世紀の大決戦!! 老人VSカジキ』とか。
うーん、売れそうにない。




話の大部分を占めるのは、あらすじでいう「巨大なカジキマグロ」との死闘。
人間の登場人物が少ない。
老人を慕う少年が出てくるけども、27ページに老人は出港して、140ページに帰るまで、
少年は出てこない。

老人一人。
大きな海。
老人が小さな舟に浮かんで一人。

老人の一人芝居が小説の大部分を占める。
映画『キャストアウェイ』に似てるかも。


その限られた舞台設定で繰り広げられる超巨大カジキとの戦い!
四日間の死闘!
大迫力!
燃える!
海洋大スペクタクルロマン!

スペクタクルかどうかはわからないけれど、その「海に小舟、小舟に老人」っていう限られすぎてる舞台で、
たしかにドラマがある。
これが凄い。

主な登場人物は
老人
カジキマグロ

終わり。

途中からサメ。


魚類ばっかりですわ。


あとたしか鳥類が一羽二羽。
もう少し人類を出しても良いと思う。




老人は、カジキを獲らなければいけない。
収入のために獲らなければいけない。
生きるために獲らなければいけない。
自分の誇りをかけて獲らなければいけない。

老人とカジキを繋ぐのは一本のロープ。
老人はロープからカジキの動きを読み取り、カジキの感情を覚え、カジキの誇りを知る。
少なくともこの世界には今、老人とカジキしかいない。
彼は、自分の獲物であるカジキに対して、友情すら感じている。

>…食うものもない大魚がなんだかかわいそうに思えてきたが、殺そうという決意はけっして憐憫の情に打ち負かされはしなかった。あれ一匹で、随分大勢の人間が腹を肥やせる物なあ、とかれは思う。けれど、その人間たちにあいつを食う価値があるだろうか?もちろん、そんな価値はありゃしない。あの堂々とした振る舞い、あの威厳、あいつを食う価値のある人間なんて、ひとりだっているものか。
 そう考えてくると、おれはなんにもわからなくなる。…海をたよりに暮らし、俺たちのほんとうの兄弟を殺していれば、それでじゅうぶんだ。…

「…」は略の印。

友情を感じている相手さえ殺さなければ人間は生きられない。
人間は存在自体が罪。
老人は敬虔なキリスト教徒ではないけれど、自然発生的に、キリスト教で言うところの<原罪>、仏教で言うところの<業>にまで考えを至らせる。
それは老人の、地に足のついた、実学としての哲学。
そういうの好き。


老人の不安、老人の興奮、老人の自信、老人の博愛、老人の憐れみ、老人の闘争心、老人の生命力、老人の友情、老人の諦念……
作者は、少年を通し海を通し鳥を通しカジキを通し、老人を、老人と海を描く。

その過程は壮絶な物であるし、限られた舞台の物であるし、興奮するサバイバルアクションですらあるし、心の交流を描いてさえいる。

人とカジキの心の交流を感じた小説はこれが初めてだ。
当然だ。

老人がカジキに友情のような物まで感じているからこそ、それをしとめた瞬間に感動があるし、
サメに食われるときに感じるのは「獲物を奪われる悔しさ」でなく「友人が虐げられる悲しさ」である。
自分とカジキとの友情を理解しない輩の、無遠慮な暴力。
それが一層老人とカジキとの関係性を際立たせている。

作者の「自然とは厳しい」という主張は、ラストに観光客の無理解を見せることからも、
(一般人は老人の死闘を、これまでの経緯を、小説の盛り上がり、ドラマ性をすべて否定する)
強いと言える。のかな。




そろそろまとめる。

この小説は、良質なサバイバルアクションであるし、ひとりの老人の人生を描いた中篇小説でもあるし、
老人は度々哲学的な思考に至るし、カジキとの友情物語ですらある。
「自然とは厳しいのだー」という近代小説のオーソドックスなテーマも踏まえつつ。
すげえおもしろかった。
これが105円で買えるんだから。
日本っていい国だあ。
あっれーこれまとまってないかもー。

地味なタイトルにだまされないで。
興味の湧いた方はぜひどうぞ。意外と短くて読みやすいしね。
解説の方がよっぽど難解。
それ解説の意味あるのか。