明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

ダヴィンチ・コード

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トム・ハンクスが主演のあれですよ。

原作はダン・ブラウンの小説。
美術宗教ミステリー。
ギャラリーフェイク』的な面白さ。


ええと、5/30の日記にも書いたとおり、友人と一緒に見に行ったんだけれども。

原作読破済みの俺→おもしろかった!
原作読んでない友人→……よくわかんなかったねぇー。


というある意味わかりやすい結果に。
つまり「原作読んでから見るのが吉」


原作は文庫本が三冊。
一冊読むのに二時間ぐらい。
それを二時間の映画にしようということがすでに困る。
スタッフの苦心の跡がところどころに見られる。

「とにかくもう、尺がないから詰めて詰めて」
っていう監督の叫びが聞こえてきそうなほど。

のっけから喋る喋る。
「なんか説明してばっかりだったねえ」
とは原作未読の友人。

確かに。と思う。
でもいろんなところはしょってる。
まあー…仕方ないとは思うけど、途中、銀行の責任者の描写をずいぶんはしょったせいで、彼の心境の変化の理由が、未読の人には全くわからないということに。
どれだけ必死なのか。スタッフ。

でもまあ、映画(映像化)してよくなった点も多数。
原作に度々出てくる絵画の映像や、ルーブル美術館は、それ自体が小説ではありえない「売り」になってる。
そこは良い。
ラストの、トムハンクスが祈りを捧げるシーンも「映像の勝利」である。
あそこは原作既読派として「おおおーっ」とこう、興奮した。
逆光は勝利。



原作に満載の薀蓄がはしょられてて、魅力は半減だけども、それに変わる映像的魅力も付け加えられてたり、原作未読の人も「美術ミステリーアクション」って感じに楽しめるつくりにはなってる。
原作読んだ方が面白いけどね。
あと、映像化したせいでちょっとグロテスクというか、生々しすぎるところがあった。
正直勘弁。
映像化も一長一短。

まとめ
「原作未読でも楽しめなくはない。既読だととても楽しい」





家庭教師先の生徒ユウキ君も観たそうで。

先生「へえ、どうだった?」
ユウキ君「うーん…よくわかんなかった」
先生「だろうなあ。なんとか説明してみて?」
ユウキ君「ええと……たしか……モナリザ…」
先生「おお、モナリザが?」
ユウキ君「モナリザが生きてたり……」
先生「……ほおほお」
ユウキ君「いや?モナリザの娘だったかな?……なんかそれをおっかけるひとがいたり……」
先生「……はあはあ」
ユウキ君「さいしゅうてきに……よかった」
先生「よかったか」
ユウキ君「よかった」
先生「そうかそうか」





映画を観た二人の会話なのに、かけらもネタバレの心配がない(笑






あ、以下ちょっとしたネタバレを含む薀蓄。
作中でロンドンのウェストミンスター寺院が出て来るんだけど、
そこはなんかイギリスの偉い人が一堂に会する墓で、ニュートンとかの墓がある。
そのニュートンの墓が途中で出てくるんだけど、
このあいだ、東洋大学創始者井上円了の『世界旅行日記』(うろ覚え)を立ち読みして、
そのちょうどイギリスの項によると、井上円了ウェストミンスター寺院へ立ち寄り、
サー・アイザック・ニュートンの墓を見たそうです。

へえーと思う。
それにしても、それはアキバのヨドバシカメラで立ち読みしたんだけれど、もうカメラ屋の面影がないなあそこには。
本屋も(井上円了/←明治のマニアックな哲学者、妖怪博士/の本があるくらい)充実の品揃え。
井上円了の代表作(?)の『妖怪大図鑑』(うろ覚え)もあった。

ええと、最後は話が横道にそれたけど。
上の方に書いたとおり

「原作未読でも楽しめなくはない。既読だととても楽しい」
です。