浅田次郎の講演会へ行ってきた
というわけであったんですよ浅田次郎の講演会が。
学校で。
久しぶりに塩じいも見た。
…………入学式ぶり?
この画像の「矜持」という字は「きょうじ」でも「きんじ」でもいいそうです。
中々おもしろかった。
浅田次郎氏は朝6時に起きて12時まで仕事(執筆)で、それから読書をして、一日一冊は本を読むそうです。
一年365冊。
…………凄いね。
朝六時に起きるなんて。
てそっちじゃねえ。
他にも「今の日本にたりないのは儒教的精神…特に『仁』『義』」
『仁』というのは書いて字のごとく「人が二人」という意味で、人は一人で生きているのではなく、オ簿正しい数の他人との関係性の中で生きているのだから、租こんとこ忘れるんじゃないぞ、と。
『義』というのは「羊」の下に「我」つまり天に捧げモノをしている様子の象形文字で、天地神明に恥ずかしくない行いをしろ、と。
コンビニの前の地べたに座って「誰にもメーワクかけてねーじゃん」というのはこの『義』の感覚が道徳心からなくなっているからで、そのなくなっている原因は、敗戦後に「戦前の教育は全てダメだ」という方向で教育から儒教精神を全て払拭してしまった、という戦後教育の誤りだ。
という話などいろいろなことを聞いた。
おもろいおっさんでした。
学校で。
久しぶりに塩じいも見た。
…………入学式ぶり?
この画像の「矜持」という字は「きょうじ」でも「きんじ」でもいいそうです。
中々おもしろかった。
浅田次郎氏は朝6時に起きて12時まで仕事(執筆)で、それから読書をして、一日一冊は本を読むそうです。
一年365冊。
…………凄いね。
朝六時に起きるなんて。
てそっちじゃねえ。
他にも「今の日本にたりないのは儒教的精神…特に『仁』『義』」
『仁』というのは書いて字のごとく「人が二人」という意味で、人は一人で生きているのではなく、オ簿正しい数の他人との関係性の中で生きているのだから、租こんとこ忘れるんじゃないぞ、と。
『義』というのは「羊」の下に「我」つまり天に捧げモノをしている様子の象形文字で、天地神明に恥ずかしくない行いをしろ、と。
コンビニの前の地べたに座って「誰にもメーワクかけてねーじゃん」というのはこの『義』の感覚が道徳心からなくなっているからで、そのなくなっている原因は、敗戦後に「戦前の教育は全てダメだ」という方向で教育から儒教精神を全て払拭してしまった、という戦後教育の誤りだ。
という話などいろいろなことを聞いた。
おもろいおっさんでした。