明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

My Fair Lady

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オードリーヘップバーン(・∀・)イイ!


ローマの休日』は白黒だったけどこれはカラーでなんというか時代を感じさせるけれども
いいものはいいし美しい人は美しい。



☆あらすじ☆

舞台は1920年代(?)くらいのイギリスロンドン。
コペントガーデン(青果市場)で花を売って暮らすイライザ(オードリーヘップバーン)は、
言語学者のヒギンズ教授と出会う。イライザの使うひどい英語を聞き、ヒギンズは憤る。

「何故英国はこの娘に英語を教えないのか!美しい英語さえ使えればメイドにも花屋の店員にもなれるのに!」

英語というのは地域差や身分によって随分その姿かたちを変え、言葉遣いで「お里が知れる」という言語だそうだ。
花屋の店員にもなれる!と聞いたイライザは、正しい英語を習いに、一張羅を着こんでヒギンズ教授宅を訪れる。
「そうだ!この娘を私がレディに仕込んで見せよう!!」
ヒギンズ教授は自分の言語学研究の成果を出したいと考え、花売り娘をレディに仕立て上げて、
大使館の舞踏会に出させようと目論んだのだ。
イライザがシンデレラなら教授は魔法使いのおばばだね。

しかし現実は魔法を使うようにうまくいかず、教授の特訓は毎日深夜まで続く。
「かわいそうなヒギンズ教授~♪」と歌う使用人たち。
この映画、実はミュージカルだった。
CICAGO』を知ってる現代人としてはかなり古臭く感じるものだけれど、父親のハクナ・マタタ的信念をよく表したシーンは楽しかった。
「ハクナ・マタタ」って知ってる?「吐くな!またカタダか!!」の略……ではない。
最近は吐くほど飲んでないし。
大人になって節制というものを知りましたよ私は。


閑話休題
「イギリスには2つの国がある。すなわち、上流階級とそうでないものだ」
と言った人がいたけれども、
「2つの国」と例えられるほどに高いクラス<階級>の壁を特訓によって打ち破るのだ!

そしていよいよ、教授の研究の成果を試す舞踏会の日がやってきた!
ドレスも高級なのを新調して見た目はすっかりレディ<淑女>だ!
と思いきや性格の悪い言語学者がイライザの出自を調べようと辺りをうろちょろし始めた!
さあ果たしてうまくいくのか――?







ってな感じ。
まあ有名な映画だし知ってる人も多いかもね。
DVD図書館から借りてみたし。




☆感想☆

まあ冒頭の感想に至るわけだけども。
というか長い!
173分!
2日に分けて観たわ。
途中に「インターミッション」がある映画なんて他に『The Sound of Music』ぐらいしか知らない。
あ、あと『七人の侍』もか。
古い映画は長いのかね?

テーマがテーマだけに音声が英語だけで、日本語吹き替え版は存在しないという潔さはいいと思った。
おもしろかったけどもこれはたぶん英語圏の人のほうがより楽しめるんだろうなあと思うと少し羨ましい。
英語のレトリックな面白要素が出てくるシーンがたくさんあるんだけど、その辺が日本人にはよくわからんもんね。
「スペインでは雨は主に平野に降ります」
というのをイライザが必死に練習するシーンなんかは、というか何故これを言うのを練習するかというと
「Rain falls on plains in Spain mainly.」
となって発音するとわかりやすいんだけど
「ェイン」の韻を踏んだ早口言葉というか発音練習の定型文というか一般的なもののようです。

そのほかにもイライザの父がシェイクスピアばりの修辞法でヒギンズ教授をまくし立てるシーンがあるんだけれど
全くその凄さが通じんかったもんね日本人たる俺には。
あーそうシェイクスピア劇を英語圏以外の人が真価を理解できないことと同じ文法ですよ。


でも映画の本筋が理解できないわけではないし、終わり際30分か40分ぐらいはヒギンズ教授とイライザのラブコメ映画と化すし
映画自体の魅力の大きさから比べれば英語がわからんことぐらい瑣末なことと言っていいかもしれない。

そのラブコメ部も、なんというかその、良いしね。
はっきり言って他人の恋愛ドラマなんかどうでもいい。というスタンスのおれでも楽しめた。
イライザもヒギンズ教授もツンデレ
ツンデレ×ツンデレ
という今時な(?)カップリング。
「私は研究成果でしかないんでしょう!」
「なぜ女は男のようになれないのだ!!」
みたいな不毛な口論をしばらく続ける。
それまでに何となく二人の気持ちを感じ取っている視聴者としては、
二人とも素直になれよー…とか 頑張れ教授男!とか『電車男』ばりに応援したくなる。
ラストの終わり方もあっさりしてて良い。
まあ、多少あっさりしすぎて取って付けたような感がなきにしもあらずだけども。
それでも恋愛ドラマを楽しめるというのは俺にとっては非常に珍しいことなんすわ。
そういった意味でも稀有な作品。

古典的な映画といえばその通りだけども、やはり古典的なだけあって、普遍的な魅力を持ち合わせているのです。




☆蛇足☆

『My Fair Lady』ってどういう意味?
と思ってヤフーに翻訳させてみたところ「私のブロンドの女性」と出た。
かなり違う。
ていうかイライザはブロンドじゃないし。
ヤフーめ、適当なことばっかり言いやがって。
授業で問題を当てられたときの俺か!特に数学の授業で。
高校時代、数学の先生から「カタダの答えは方向性からしてわからん、まるで『御長寿早押しクイズ』やな」
と褒められたのも今じゃいい思い出です。
まー褒められてないけどね。
ていうか教え方が悪いとは思いませんでしたか永田学年主任。

閑話休題
んで、「fair」を調べたところ二番目か三番目に「適正な、正当な」という意味があったので、つまり
『正当な淑女』って意味かしら。
って、ああ、そうか、『マイ・フェア・レディ』でなくて、『マイ・フェアレディ』で
日産の車の名前の『Fair Lady』は『貴婦人』って意味があるんだった。
つまり直訳は『私の貴婦人』かね。

それにしてもオードリーは、王女(『ローマの休日』)から、下層も下層の花売り娘まで役の幅が広いですなあ。