明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

北風小僧の勘太郎

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いやあ寒かったね昨日と今日と!
画像は漢文。
読み方は「金を積んで」。

反射的に別の読み方をしてしまった人はきっと何かがおかしい。


http://www.soe.ucsc.edu/~inio/dk/
↑「ポスト・イット」(付箋)で窓一面にドンキーコングを。
動画アリ。
アメリカの大学での催しだということです。





アメリカの大学といえば今は銃乱射事件の話だけれども。

マイケル・ムーアの映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』を観た経験を踏まえて単純に思うのは

「さっさと銃規制しろ」

このひと言に尽きる。
アメリカ人的には、「家族を守る」だとか
「自分たちで何でもやった開拓精神の象徴であり殺人の道具という側面だけ見るのはおかしい」
だとかいろいろ言いたい事があるんだろうけれども。

ほとんど誰でもが自由に銃を手に取れ、
自由に使用できる社会というのはどう考えても異常だ。
州法によってだいぶん違いがあるらしいけど。
詳しくは知らないのだけど>州法の違いについては

アメリカ人が銃についての精神性を云々するなんて、
明治時代の日本人(侍)が、
日本刀の精神性について云々するようなもので、
腰に刀を差して歩く侍を欧米人がどう見たかといえば
「野蛮人」
という一方的なもので、
近代国家を目指す明治日本としては廃刀令出さざるをえなかった。

銃を規制しないのはいまだに腰に刀を差しているようなもので前近代的であり、
「銃がないと家族が守れない」などという社会はこれはもう「野蛮な社会」と言ってしまっていいと思うのだ。
だってそれほとんど『北斗の拳』やん。

急に一律「禁止」にするのは不可能でも、
たとえば銃弾を売るのを規制して行ったり、
段階的な免許制にしていくとかいろいろやりようはあるはずだ。

コロンバインで乱射事件が起きて(あの時は高校生だった)、
また同じような事件を今度は留学生が起こして、
具体的な予防策は考えられていますか?

映画やゲームに責任をなすりつけないでさ。






32人やぞ……。
ひとりの人間が殺すことができる人数としてはどう考えても多すぎるやろ……。
「それ自体(凶器の存在)が原因ではない」という理論は理解できても、
単純に銃さえなければそんなに死なせずにすんだやろ……。

銃規制法が整備されてしまえば「本職」のヤクザでも、
小さい回転式の銃を手に入れるのもやっとで、
現実的に殺傷力は落とすことができる。

精神論とか社会の理想像は別として、
現実的に銃規正法は役に立つだろうし必要になるだろうし、
今回の事件でそういう声が高まるのを望む。




別にこんな話を書くつもりはなかったんだけれども、
まあ「アメリカの大学」からの連想ついでということで。

なんか景気悪い話になってしまったから最後だけでも明るい顔文字張りまくるわ。





\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)//^o^\フッジサーン



http://www.hanketsu4.jp/movie.swf?id_number=19C22v45B39V61" /
逆転裁判ジェレータなるもの。


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今書いてあるのは日常的な魂の叫び。