明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

トミタと上野の寒空の下で「常識」について真剣二十代シャベリ場

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写真はミニチュア風東京駅。
昨年末に大学のサークルの同窓会があったので東京へ遊びに行っていたのです。
500億円かけて修復したという東京駅を見に行ってきました。

いやー(yearとかけている)、開けましたな、年が!
今年は好きなコトだけを一生懸命にやる年にしようという目標があります。
去年は全然しなかったこのブログの更新も
毎日更新する勢いでいろんなことを書き付けていきたいと思っておりますよ。


●結婚式の二次会の際の服装についてトミタと深夜の上野で口論した話。

トミタという大学時代からの友人がおりまして。
サークルで知り合った友達なのでそのトミタも一緒に飲んでいたのですが
飲み会の後に一緒に帰る道すがら。

トミタ「いやしかしカタダ、二次会の際のカタダの服装、アレはないよ」。

突然叱責を受けまして。
…二次会? いつの話?

トミタ「いや、バンバの結婚式の二次会よ。今年(2012年)の2月の…」

うーむ、そうか。
2月か。

若年性健忘症ではないかと自ら疑ってしまうほどの記憶力を誇るワタクシですので
いまさらほとんど一年前のその日その時間の服装について叱責されても
はっきり言って記憶が無いですな。
でも披露宴に出てから二次会に行ったわけだし普通にスーツだったような…。

トミタ「いや違うね。お前はシャツにジーンズ、そしてスカジャンを羽織っていた。
いくら二次会とはいえ、スーツだろう。普通は。一般社会の常識から言えば
とにかくあの格好は無い。バンバ氏両名もそのように言っていた」

あ、そうですか。
そりゃ失礼。

しかし何故、突然、そんな10ヶ月前のことを今更、しかもトミタから叱責されなければならないのか
アレはないよ、と言われても、そもそも俺にはそのアレの記憶が無い。
(改めてその時の写真を確認してみたら二次会でスカジャンを着てる写真は見つからなかった)
(普通にシャツと白ネクタイだった。でも下はジーンズに着替えてたかも)
(さすがにスカジャンは着ないと思うけど…何しろ俺のことだから確証がもてない)

大体その「普通」というのはどこの普通なのか。
「一般社会の常識」というのはどこの社会の常識なのか。

単に自分の「思い込み」と「好み」を
そういった言葉で社会やバンバ氏両名と言った他人の威を借りて自分の責任を回避して
かつ、あたかも正当性のある言い分であるかのように見せかける理論展開は
「誰々ちゃんもこう言っていました~♪」という小学生の言説となんらかわりなく
卑怯である。下劣である。

そしてその「〇〇は常識であるから、故にそうすべきだ」という一方的な言い分が成立するとしたら

「俺の中の『普通』かつ『一般社会の常識』では、二次会というのは披露宴ではないのだから
もっとフランクでざっくばらんな格好で来るべきだ。むしろスーツを着てるヤツが異常。
それが『普通』であり『一般社会の常識』である

という事だって強弁できる。
(「どこの世界の常識だよ」と思うでしょう)

以上のことについていろんな事象に当てはまるように言葉を一般化すれば
あなたが「常識」ということは私の中では「常識」ではないから、その論拠は根拠が失われるから
その論理は私の中では成立しない。

ということになる。

だから何が言いたいかというと
人を説得したり何かを変えさせようという時に
「常識だから」とか「それが普通だから」という言葉は何の意味もなさないのではないか。
ということを言いたい。

…えっホントかなあ。
いや最初は本当は

「俺も結婚式の二次会って普通はスーツかと思ってたんだけど
一度友だちから『二次会の服装ってなに着ていけばいいんだろ?』って相談を受けたことがあって
その時に『二次会はスーツでしょ』つったらその後、『スーツなんて着てたの俺だけだったわ…』って
言われたことがあったから、二次会なんてもっとラフでいいものかと思ってたんだよね」

ていうことだった気がする。
そういうことをそういうふうに言えばきっとまだ理解されやすかっただろうなと後から思ったのだけれど
その時は酒が入っていたのと脈絡なくほとんど一年も前の話題を大上段からふっかけられたから
そのような冷静が判断ができなかった。

(でもそれも結局、「『二次会はスーツ』っていう常識は、少なくともその時は通用しない『常識』だった」
ということだから、「『常識』という言葉の持つ不確実性」というテーマにおいて実は通じている)

「常識」とか「普通」という感覚を疑いたまえ。
キミの世間は狭いのだ。

というご高説を上野の寒空の下で一席ぶって(もちろんかなりお酒が回っています)
「いや口論したいわけじゃないんだよ…」と困らせて
(恐らく)お互いにモヤモヤとした気持ちになって年が暮れた。

ごめんトミタ。
俺の結婚式の二次会には全員ジャージで来ていいよ。
二次会の前にまず結婚式の予定がないけど。


えーと、だから、こういうことを書き連ねる一年にする…のか?
本気か俺は。
何を考えているんだ。

わかりません。
「一年の計は元旦にあり」の論で行くと
今年は(今年も?)筆の向くまま気の向くままに生きる支離滅裂な一年になるでしょう。

死なない程度にがんばろう。