明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

『疾走』(重松清・角川文庫)

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を読んだ。いとこの真理子さんから借りて。さんくすこ。








    *感想*



また悩める15歳少年かよっ!!
主人公が。


あらすじ
を書くのも悲惨。聞くも涙。語るも涙。
全編悲惨。ずっと悲惨。
救いが無い。皆無。
ノー救い。ノーヘルプ。
気分が落ち込んでるときに読んではいけない。
きっと死にたくなるから。

タイトルに反してどこにも疾走感の無い小説でした。
石田衣良のがジェットコースターで、これを例えて言うなら……
ヘドロの海ですもぐり大会だー。
みたいな…

ドラクエのモンスターに例えるならドロヌーバ
誰がわかるんだこの例え。

その悲惨なあらすじをすこし書くなら
・村いちばんの秀才だった兄は、市の進学校に進む。
→しかしついていけずに不登校に。カンニングがバレ発狂。そして放火犯に。逮捕。
・それをきっかけに弟である主人公シュウジへいじめが始まる。
・いままで「おれたち親友だよな」と言っていたヤツに散々いじめられる。
・足が速く、あこがれのような存在であった少女エリ、ダンプに轢かれかけ二度と走れない体に。
・エリ東京に転校。堕ちる所まで堕ちる。
・父親、周囲の空気に耐えられずに家出。
・母親、化粧品のセールスを始めるが、商品を持ち逃げされる。
・母親、絶望する、が、死ぬ前に一回、と試したギャンブルでバカヅキ。持ち直す。
・もちろん長くは続かず借金取りがうようよ。
・母親、アル中に。




もうだめ、とても続けられない。
その他もろもろのひどいことがこれでもかこれでもかとシュウジの身に降りかかる。
個人的にキタのは新聞配達店でやっと手に入れた給料を、良い人そうな爺さんにとられるところかな。
まあそれ(割と後半)までにはすっかり不幸な展開に慣れてるから驚きはしなかったけど。
仏教的にいえば彼の前世の業がよっぽど深かったのかも知らん。





それにしてもほんとうに他者と距離をつかむのがへたくそだな少年カフカにしても
この主人公シュウジにしても碇シンジにしてもっ!

また『エヴァ』かっ!
っていうツッコミが自分の中でも無くは無いが。
「15歳少年」はとりあえず悩んでなきゃいけないようです。

ラストに程近い、シュウジが家出して東京へ行き、エリと二人でホテルにいるシーン。

                  *

「会って、もっと大切なひとになった」
エリは目を隠す両手を、ほんのわずかにずらした。瞼をこすったのだと、わかった。
シュウジってさ……」声が震える。「誰かとつながりたいひとなんだ」
「ああ……」
「なんで?裏切られるだけだよ、そんなの。私の話を聞いてたらわかるでしょ」
「それでも……いいんだ」
おまえは、そっとエリの肩に手を伸ばした。触れたい。つながりたい。
だが――。
「やめて!」
部屋の空気がきゅっと縮むような悲鳴があがる。
「触られたくないの……誰にも……」
唇がわなないていた。
おまえは手を引き、「悪い」と謝って、ベッドから降りようとした。
すると、エリは今度は「降りないで!」と叫ぶ。
目は両手で隠されている。それでも、頬を伝うものまでは隠せなかった。
「……くっつかないで。わたしに、絶対」
おまえは黙ってうなずいた。
「でも……そばにいて……お願い……」
言われたとおり、またエリの隣に横たわる。
強い「ひとり」と、弱い「ふたり」が、寝返り一つでつながりそうな距離を隔てて、それぞれの涙を流し続ける。

                  *


「『ヤマアラシのジレンマ』って知ってる?」
と言うセリフがありましたが、まさにそれ。
ヤマアラシは、誰かのそばに行きたくても、近付きすぎると相手が傷つくから、それが怖くてそばにいられない、他人との距離が測れない。
近付くと相手も自分も痛い。でも遠くにいると寂しい。良い距離がつかめない。
とかそういう意味。

主人公シュウジは、「孤独」でなく「孤立」でなく、エリのように「孤高」でありたいと願う。
「孤高」には誇りがある。
だがそれでもシュウジは、誰か自分をわかってくれる他者とつながることを求め、
大阪へ行ったり、東京へ行ってエリに会おうとする。
この矛盾とか葛藤を英語で言うとジレンマって言うのかな?……言わないのかな。


とにかく。
だれかとつながりたい「ひとり」と「ひとり」だったエリとシュウジが、
精神的に唯一つながって、満たされるシーンがある。



                *

だが、エリは落ち着いた口調で、叔父と、おまえと、きっと自分自身に向けて、言った。
「わたしと同じひと」
その瞬間――おまえの胸は熱いもので満ちた。

                *


ここ。
ここから故郷に帰るまで(と、ほんとにラスト3ページくらい)が全編通じての
唯一の救いと言って良い。
結局最後の映画版まで他人との距離をつかめなかった『エヴァ』のシンジ君に比べれば幸せかもしれん。
(『エヴァ』映画版最後のシーンは、主人公のシンジがヒロインのアスカの首を絞めて、
 アスカ――他者の象徴――に「気持ち悪い」と一言で拒絶されるシーンで終わる。ひでえ。)

でもまあ、この場面に至るまでの過程が……ひどいんだよね……。
つくづく気分の落ち込んでるときに読んではいけないと思う。

「孤高」にあこがれるシュウジの気持ちはわかる。
シュウジはたぶんブルハとハイロウズを聴いたら惚れる。
それか尾崎豊




表紙見ればだいたいどんな小説かわかるかも。
その絵の印象のままだった。
画像は文庫版じゃないけど文庫の表紙も一緒。

『疾走』というタイトルから受ける印象とは遠くかけ離れたものだったけれど。







さーて気分なおしに椎名誠のエッセイでも読むか。
『気分はだぼだぼソース』
素晴らしいよねこのタイトル。
そしてタイトルどおりの内容。好き。