明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

(σ・∀・)σゲッツ!曜日は授業がだやい

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画像はキックボクシング部の勧誘ポスター。
オリジナリティの光るポスターだった。

月曜日は授業がだやくてね!
「生活の科学」ってな授業ではいきなり

「えー、じゃあ今日はニュートンの運動法則をやります。法則は三つぐらいあってE=MC^2だのf=maだの落下運動で重力係数がどうのこうのうんぬんかんぬん」

とか言い出して困ったね。
こちとら筋金入りの文系かつ、
sinだのcosだのtanだのなんて大学入ってから目にする理由も必然もなく、
だいたいそんなもん高校時代だってマジメにやってないのに今更そんなこと言い出されても困る。
咲いたわ咲いたわコスモス咲いた。
という公式?の覚え方がなんかあったような気がするようなはるかかなたの遠い記憶。

忘れた頃になって人のいやな記憶を言い出すなんて一体何の嫌がらせだね。
いまさらニュートン力学について学んで俺に一体なにをしろというんだね。
ていうかそれは「生活の科学」ですか?

大学の授業ってほんとに……
NHKのつまんない番組よりつまらないことがあるから困る。
NHKの番組なら速やかにチャンネルを変えるか
「いえ、NHKは見ませんから」と言って料金を払わずに過ごすこともできるけど
大学の授業ではその苦痛でしかない時間が90分ノンストップで止まらないからこれはもう苦行でしかない。
だからこの苦行を重ねに重ねればなにか悟りを開くことができるかもしれん。

若き日のゴータマ・シッタルダは苦行に苦行を重ねて悟ったそうだ。
「そうだ!苦行なんてしても意味がない!」と。

…………マイアヒーマイアハーマイアホー……マイアハッハー…。
つまり結局意味がないんですよきっと自分が「面白い」と感じられないことなんて。



中毒の話。
授業で疲れてくると非常にコーヒーが飲みたくなりますね。
GWで実家にいたときは冷蔵庫の中のアイスコーヒー(売り物)を勝手に飲めて常にカフェインを
随時気ままに摂取することが出来たからよかったけれども、
学校が始まってしまうとそうも行かない。

いくらからだがカフェインを欲しても授業中にコーヒーを飲むことは出来ないし、
コンビニでコーヒーを買うにしても缶コーヒーはアイスで飲むとおいしくないし、
とはいえ学食でアイスコーヒーだけを買うと200円以上するから財布にやさしくないし敬遠する。

でも飲みたくなる。疲れたら。
適度にカフェインを取らないと禁断症状が出てくる。
頭がぼーっとしたり体がしびれるように疲れたり集中力がなくなったりする。
(単に授業に集中していないせいだという説もある)
その昔コーヒーは強壮・覚醒効果のあるオクスリ的な扱いであったと『コーヒー・ルンバ』でも歌われておるから疲れたときに飲みたくなるのはむしろ正しいこといえる。

というわけでこれはもう完全にカフェイン中毒患者なのだけれども、
大体の人はニコチンかアルコールかカフェインのどれかの中毒患者ではないかと思う。
他にもパチンコ、パチスロ、買い物、活字、ネット、希なものでは仕事だとか、
世の中にはこんなにも中毒になりうるものがある。
それをいろいろと併発している人も珍しくない。
すごい人はもうタバコを吸いながら仕事をしてケータイ片手にネットを巡りつつ文字を追いついでにショッピングをしたり仕事に疲れたらパチンコ店に入りドラムの回る機械に夢を投資してスカンピンになりヤケ酒を飲みお金がなくなったらやはりタバコ代と酒代と買い物費と電話代と夢への投資金(ドラム式)を稼ぐために自分が欲して止まない仕事に戻るという出口のない中毒地獄を味わっているかもしれない。

それでもやはり中毒症状を解消しながらの生活なのだからあるいは幸せなのかもしれない。
ネズミだって出口のない運動器をさも嬉しそうに回すように。
○○中毒患者の人は○○に入る部分をしているときが一番幸せなんだから。

睡眠中毒でカフェイン中毒でニコニコ中毒な人は
ぐっすり昼まで寝て起きてコーヒーを飲みながらパソコンに向かってる時に幸せを感じてしまうように。
誰のことかはあえて言わないけど。






世の中にはこれだけ多くの中毒因子があるにもかかわらず、
「生活中毒」とか「納税中毒」とか「とにかく他人に無償奉仕したい中毒」の患者がいないのはむしろ不思議なことである。