明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

休日を無為に過ごすことに関しては類希なる才能を発揮する

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それにしてもなんという暑さだったんだ。
五月やぞ五月。
太陽自重しろ。
光化学スモッグも自重しろ。

ぴんぽんぱんぽーん♪
…区全域に、光化学スモッグ注意報が発令されました。皆さん注意してくださいNE☆……。
ぴんぽんぱんぽーん♪

っていう放送をぬるい気温の室内で聞く五月の休日昼下がり。
火曜と水曜は大学がなくてね。
風薫る五月のはずが光化学スモッグに薫られるんだからまったくTOKYOは地獄だぜふぅーははー。

写真は原付運転中に盗撮した飛行船。
遠くから見るとふんわりゆらゆらのんびりまったり飛んでいるように見える飛行船だけども、
近くから見ると意外と結構速かった。
目白通り沿いを目白方面から飯能方面へ飛んできて、
信号待ち中に頭上を越えて行ったしまった。
後の行方は杳として知れない。

飛行船の歴史は1800年代後半に始まり、
その技術が発展したのはWW1でドイツが軍事利用したことが大きく関係しているらしい。
なにしろ戦争というのは技術の進歩が(自分を含めた)国民の生命に直結する問題ですから、
それはもう技術者も研究者も目の色を変えて研究しますよね。
その成果が他人を殺すとしてもまぁ、
一般的な人間の感覚として自分を殺されるくらいなら他人を殺す方がまし、
っていう判断が働きますからね。

日本は戦争に飛行船を使用したことはないはずだけれども、
太平洋戦争中に「ふ号作戦」っていう作戦名で「風船爆弾」を開発、使用していた。
この風船爆弾という兵器はなんとも牧歌的というか気の長いというか平和的な兵器で(矛盾)、
こう、大きな風船(小さい気球)に爆弾をくくりつけて、
それをどうするかというと、
茨城県のあたりから太平洋に向けて飛ばす。
攻撃目標はもちろんアメリカ本土。

……なんという馬鹿馬鹿しい…いや画期的な……まぬけな攻撃方法だろうか。
たしか1万発弱を飛ばして太平洋を越えられたのは300~1000発弱、
というその数字が多いのか少ないのか判断に苦しむ数字の爆弾が、
米本土に辿り着いた。

実際の効果は……死者6人。
ピクニックをしていた家族が落ちてるのを見つけて……BOMB!・゜・(つД`)・゜・
(ちなみに日本でも、製造過程の爆発で死者が6人出ている)
イグ・ノーベル賞的に歴史に残る兵器ではあると思う。

ちなみに風船の材質は「和紙」と「こんにゃく」。
コンニャクイモをうまい具合に工夫すれば糊状になって、
それを和紙に塗りたくってナイロンっぽいというか、
空気を通さない材質に仕上げてたっぽい。
それにしも……「和紙」と「こんにゃく」かぁ……。

なんという手作り感の溢れる兵器だ……。
全部の材料が一般家庭で揃う(笑。
足らん足らんは工夫が足らんの精神で戦ってたんだろうけども…。
涙ぐましい努力だとおもう。

ちなみにこの「ふ号作戦」のために軍にこんにゃくが買い占められ、
当時日本の食卓からこんにゃくが消えたんだとか。

ちなみに米軍はその風船爆弾を拾って、
材質が和紙である事はすぐわかったんだけれども、
それに塗ってあるものが何かは最後までわからなかったんだとか。
そりゃそうだろうなぁと思う。

ちなみに米軍は戦意維持のためと日本軍に効果を確かめさせないために、
報道管制でこの「風船爆弾」がどれだけ被害を出したかは報道しなかったとか。

ちなみに米軍的には「くくりつけられてるのが爆弾じゃなくて生物兵器(細菌兵器)だったら…」
ってことでガスマスクをくばったり、
一応脅威を与えてたことは与えてたらしい。

まぁ風船爆弾の説明すべてが「ちなみに」みたいなもんだけども。




というような風船爆弾のことを飛行船を見て思い出した。
というわけで今日のテーマは「いろんなものにいろんな歴史がある」ということでした。