明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

読めない

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画像は外務省外交資料館前のシーサー。
2000年沖縄サミットのときに特別に作られたものだとか。

というわけで今日は六本木は外交資料館までいてきた。
東京ミッドタウンを横目に通り過ぎ、
ドンキホーテ六本木店も横目に通り過ぎたところぐらいにある。

何をしに行ったかといえば日露戦争日英同盟の事を調べに。
つまり卒論のために。
そこには日露戦字を含めた近代以降の外交史料が残ってるので。

のこってはいるんだけれども……


読めない。
国際標準語は今も昔も英語なんだった……。

いや馬鹿にしちゃいけない。
それなりには読めるんだ英語だって。
ただしそれを達筆な筆記体で書かれると、
ほっとんどよめない。

筆記体で書かれた英文を読みなれてないのもあるけど、
だいたいどのアルファベットを書いてあるのか全くわからない。

ただなんとなくきれいな字だなーというのはわかる。



英語だけならまだしも、
日本語すら読めない。

当時はまだまだ文章を書くのに墨と筆を使っていやがる。
必然的に字は楷書の明朝体より、
草書(崩し字)が多くなる。

読めない。
考えてみれば明治37年という年に外務省で働いているだろう30~40代の人というのは、
明治元年だとかちょっとさかのぼればすぐに江戸時代になるような時代に生まれた人たちで、
つまりもう江戸生まれの人たちの手による文書しか残ってないのだった。

とりわけ読みにくい史料には「坂田」っていうハンコが押してありがち。
たぶん「この文書読んだよ~」という意味のハンコなんだろうけど。
外務省の課長だか係長だか知らないが……
楷書で……明朝体で書いてくれっ……!

100年前の坂田さんに軽くうらみの気持ちが。




というわけで文書が読めない。
日本語も英語も読めない。
つまり卒論が無事完成するかどうかも…読めないんだなー。





いや無理矢理にでも完成はさせなければいけない。
うそでも。





なかなか読めないけど。