明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

ヘルニア手術の思ひで3

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手術直後の昼飯。手術から3時間くらいで出てきた。
ご飯がおかゆになっているものの、おかずは焼き魚が普通に食べられた。

別に残しても良かったんだけど残すと何かに負けた気がするので一生懸命食べた。
漫画『孤独のグルメ』の

「それでも一人食べるんだな。生きるということは食べ物を口に入れていくということなんだな」

というセリフ(うろ覚え)を思い出す。

~これまでのあらすじ~

腹を切って腸を押しこんでメッシュをグイグイ入れて腹を閉じて病室に戻ってきた。


~病室に戻ってから~

話が前後するけれども
12:05 病室の周りの患者には昼食が出るけれども俺にはでなかった。
12:10 手術から1時間。手術前からの予定通り、トイレへ行く。立って歩くと腹部と太ももに激痛が走る。
         この痛みはちょっと他に形容しがたい。例えて言うなら腹を切ったその一時間後に歩くような痛み。
         うーむ全く例えてない。あるいは断腸の思い。これは惜しいけど微妙に違う。

とにかく看護師と一緒に歩いてトイレまで行く(当然看護師はトイレの扉の前で待っている)。
上にも書いたけれど術後1時間も経つと手術の麻酔が切れてくるので
歩くと痛い。とにかく痛い。手術傷が熱い。

点滴の移動させる台にすがりつくようにして体重を支えてやっとの思いで歩いていく。
部屋の出口にあるだけのトイレがはるか遠くに感じる。
何しろ一歩につき足の大きさ分(25.5㎝)ほどしか進めない。

トイレに入ると用を足すまでがまた一苦労だった。
とにかく、日常生活で普通にできていることの全てに痛みが伴う。
いてえ。
尿がいてえ。
放尿の体勢になるのが痛いし、座ってしようにも座る途中の体勢が耐えられない程痛い。
全身から冷や汗が吹き出てくる。

「お、お、おお、おおう…」

自分の体の、自分の体でないような様子に、思わず驚きの声が出るんだけれども
それすらろくに発音できず、おじいちゃんみたいになっている。

死に死にの思いでようやく用を足し
泣き泣きでトイレからベッドまでたどり着く。
一歩ごとに激痛が電流のように疾り、冷たい汗が熱い汗に変わる。

看護師が「痛み止め使いますか」と聞くので「もちろん」と即答。
しかし「座薬です」と言う。

あっ座薬…座薬か…。

「座薬以外の方法はありませんか」
とほうほうのていで聞いたけれども
「座薬が一番素早く、かつ強力に効くからね」ということだった。

そうしてビニールの手袋とヒゲ剃りみたいなジェルをつけた薬を渡されるが詳述することは割愛する。

たしかに看護師の言う通りで座薬の痛み止めは即効性があり痛みはスーッと消えていった。
痛みが消えるのと並行して眠気がやってきた。
眠る。

15:00 目が覚める。鯖とおかゆとなにかを食べる。食後再び眠る。祖父と祖母くる。
         点滴が外れ自由になるも、歩くと痛みが出るので辛い。

18:00 夕食。普通のご飯に戻る。ありがたくいただく。春雨サラダのレーズンが味噌汁に落ちて切なくなる。
        長坐位の状態でも傷が痛むが意地で完食。
        モノを食べてるうちは死なないだろうという根拠のない思いがある。
        食後眠る。傷のせいか薬のせいか、ひたすら眠くなり、寝られる。痛みを我慢してトイレに立つ。
        昼間の点滴のせいだろう、小便はジャバジャバでる。しかし痛い。大の時を思うと痛みが恐ろしい。

23:50 目が覚める。トイレ。ジャバジャバ出る。未だ歩くと痛い。

翌1:30 看護師が巡回する。ベッドに寝たまま、かっと目を見開き牽制する。



…結局。

退院するのは手術の3日後になるんだけれども(当初の予定通り)、
術後は特に面白いこともなく順調に経過が過ぎて
傷の痛みも、時間経過に比例して減っていったのでよかった。

それでも手術の次の日は本当に虫が這うな速度で、
かなりギリギリの高齢者が歩くような速さと歩き方でしか歩けず我ながらこっけいであった。
「一度に60歳も老けたようだ」と入院日記に書いてある。
実際、60歳年上の爺ちゃんは、そのときの俺より素早く歩ける。

いまは手術から3週間も経っていないけれど
すっかり傷も癒えて痛みもなくなって手術をしたのがまるで大昔のように感じる。
トイレに立って歩くのも痛くて、水洗を流すレバーを押すのも気合を入れて一苦労で、
レバーが途中まで行ったのに水がちゃんと流れなくてミスった時なんか
もう一度レバーをきちんと押し込むのになきそうになっていたことを
いまノートを見返してこれを書くまですっかり忘れていた。

歩きたくても歩けねえんだ。こんちきしょう。「手すり」があるとありがてえ。すごくありがてえ。
そんな思いを実感した。
得難い体験だったと思う。

忘れないように、あるいはこのあと忘れた時に見返せるように、この珍しい体験をここに書き付けておくのだ。