明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

プロ棋士がコンピュータに負けてしまった

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画像は第二回「電王戦」公式サイトトップページ。

今日のNHKのニュースでも出てたりしたんですが
コンピュータの将棋ソフトとプロ棋士が戦う「電王戦」っていう催しが
先月くらいからやっていたんですね。

ちなみにこれは第2回で、第1回は去年行われて
すでに現役は引退していた米長邦雄将棋連盟会長(当時)が戦い
善戦の末、敗れました。

でもって今度は現役のプロ棋士5名がそれぞれ別の将棋ソフトと戦って
1勝3敗1分という結果に終わりました。普通に負け越し。

悔しいんですよね。なんか思った以上に。

将棋よりも一回り小さい盤でやるチェスなんかは(8×8マス)
1997年のディープ・ブルーというコンピュータが当時の世界チャンピオンに勝っているので
将棋でもそのうち人間がCPUに負けることになるんだろうなというのは時間の問題
当然わかっていましたが。じゃあいつ負けるか… 今でしょ!

いざ、実際にこういう結果になると、やっぱり悔しいというか悲しいですよね。

自分で将棋が強かったりプロだったりするわけではないので
別に悔しがる必要もなく、悲しがることすら本来筋違いというか
「お前に悲しがる資格はねえよ」といわれそうな気もしないでもないのですが。
それでもね。なんかね。

ウサイン・ボルトだって車には勝てないんだし悔しがることはない」

っていう慰め方(?)
もあるんですが
まず運動と知的ゲームは違いますよね。

走るだけなら犬でもチーターでも人間より速い生物は文明が生まれる前からずっと居て
「人間の中で一番速い=地球上で一番速い」ということではなかったですから。

けどチェスや将棋は違いますよ。
コンピュータが生まれて専用のソフトが作られ、その性能が向上するまで
「人間の中で一番強い」がそのまま「地球で一番強い」だったわけです。

でももう、その幸福な時代は終わってしまいました。
将棋という分野においてCPUが人間を凌駕する「Xデー」を目の当たりにできたのは
運が良かったのか悪かったのか、わかりません。

今回は「名人」などのタイトルを持った棋士は参加していませんでしたが
トッププロと呼んでいい三浦八段は5局目において
東京大学の開発したGPS将棋」という、800台のPCを繋いで運用したソフトに負けました。

今、将棋界で最も強いとされる渡辺竜王空前絶後の「七冠」を達成した羽生さんが戦えば
もちろんどうなるかはわかりませんが
どちらにしろ時間の問題で、最終的にはソフトが勝つということは確定的に明らか。
これはもう、否定のしようがありません。

これから後の時代は、どれだけ強い永世名人永世竜王、どんな天才的な棋士が現れても
「でも、コンピュータより弱いんでしょ?」
と言われてしまったら、反論できなくなってしまうんです。
これはその棋士が悪いとか努力不足であるという事では全然なくて
そういう時代になってしまったと、受け入れるしかない事柄であるように思います。

逆にあと10年くらいすれば、完全にソフト将棋と人間将棋は別物として扱われて
精神的にもスッキリ落ち着くのかもしれません。

例えば今、総合格闘家やボクシング王者に
「でも銃を持った素人に負けるんでしょ?」
みたいに言っても、言った人は、アホだなあと思われるだけなように。

だから逆に、
ガチンコのCPU対プロ棋士の戦いという、歴史上本当にこの一瞬だけの娯楽
見られたのは、幸運だったのかもしれないと思ったりもします。

でもショックなのには変わりないんですけどね。
だって『ハチワンダイバー』とか『3月のライオン』とかだと
プロ棋士ってめっちゃ強くてかっこよくて
とんでもないヒーローのように描かれているんですよ!


そんな、他の漫画で言えば孫悟空とか範馬勇次郎レベルの最強キャラが
「でもコンピュータには負けるんでしょ?」
の一言でバッサリやってハイ終わり! になってしまうんですよ!

嫌でしょ!

勇次郎に麻酔弾を打ち込んだ腕っこきのハンターが最大トーナメント優勝してたら嫌でしょ!

(あんまり言うとどんどん逸れていくのでやめます)。
そもそも自分が超将棋弱くて(フリーのアンドロイドアプリのレベル1にもかなわないくらい)
普通に将棋が強い人は凄いなあと思っていて
その将棋が強い人でもとても歯が立たないようなすごい人でも入れないような
奨励会」というすごい組織のなかで、その中で更に強いすごい人がようやくプロになれて
そのプロの中でも相当な高いレベルのすごい人が負けてしまったと。

人生を剣に懸けて超修練を積んだ剣豪が火縄銃でバーン!→死にました。みたいな。

才能があり、それにあぐらをかかず努力を重ねてきた人間が
コンピュータをひたすらつなげて演算するゴリ押し力押し将棋に負けてしまったと。

七人の侍』で久蔵(寡黙な剣豪)が銃で撃たれて死ぬシーンみたいな無念さ
ただ見ている方にも現れてきますよね。


今回の敗戦後も、もちろんプロ棋士同士の戦いは続きますし
タイトル戦や「名人」などの価値が減ぜられるものではないと思います。
ただ意味合いは今後変わってくるでしょう。

「地球上で最も将棋が強い存在を決める戦い」だったものが
コンピュータの次に、地球上で最も将棋が強い存在を決める戦い」という変化です。

将棋を真剣にやっていて強くて本当に思い入れのある人ほど
「そんなことはないよ」と感じるとは思うのですが
俺みたいなド素人であればあるほど
自分の中で「人間同士の戦いだから意味がある」とか
「戦いの結果だけでなくむしろ戦いによって生まれる感情や情緒こそ真価だ」とか
理屈をこねてどう取り繕っても感情の部分で

「でもコンピュータより弱いんじゃん…」

と思ってしまったら、ダメです。
幻想が消えてしまいました。
その禁句を心に蓋して見なかったことにしまえる糊が無いです。
暴言を吐けば、戦う棋士同士が真剣であればあるほど、
それは茶番に見えるようになってしまうかもしれません。

それまで人間が最高峰を担っていた分野がその他のものに遅れを取るというのは
外見的にはそう変化がなくても、内的には多大な変化があると思います。

なーんていろいろゴチャゴチャ書き連ねましたが
人間がコンピュータに負けるのは悔しいっすよやっぱり!
どうしても。これはもう理屈じゃなくて感情の問題かも。

血は水よりも濃い。


●今回の電王戦はいろんな人が観戦記を書いています。
最後に、なかでも心に残った部分を抜粋しておきます。

第2回将棋電王戦 第3局 電王戦記(筆者:大崎善生)

>「負けました」という船江の声が響き渡った。
>187手という激闘についに終止符が降りた。
>しかし当然のことながらコンピュータは沈黙を守ったままだ。
>嬉しくもまた悔しくもない。
>そこには膨大な演算の痕跡がただ残されているだけなのだろう。

(中略)

>その大山がよく言っていた言葉がある。

>「コンピュータに将棋なんか教えちゃいけないよ。ろくなことにならないから」

>対局場を後にし大雨の中をふらつくようにたどりついた地元の居酒屋で、
>疲れ果てた私の頭には、30年以上前のその大山の言葉ばかりが
>いつまでもぐるぐると駆け巡っているのだった。

「電王戦」の敗北と、その感情について端的に表している一文と思います。


●最後と言いましたが、この観戦記シリーズの第4局のやつについてどうしても一言だけ。

>最後に一言書いておきたい。
> 本局のような将棋も、将棋にはこういった場面も生じるのだ、
>との例として相応の価値はあろう。
>しかしニコニコ動画などによって、プロ将棋をファンに見てもらい、
>楽しんでいただくために、二度とこういう将棋は見たくない。

少し解説しておくと、この4局というのは
超劣勢状態からプロ棋士がCPU相手になりふり構わず、身も蓋もない泥仕合にもちこんで
規定により「引き分け」になったという試合です。

で、この観戦記者はその態度が「潔くない」と断じているわけです。
こんだけ「必敗」の形になったらさっさと投了するべきだ、と。

プロ棋士同士の戦いならそれは一理あるかも知れませんが
そうじゃないでしょうと。

相手は棋譜に美しさを求めたり、試合に人間性を求めることをしないコンピュータですよと。
コンピュータと戦うというのはそういうことだし
この棋士は人間がコンピュータに負ける意味というのをすごくわかっていたからこそ
勝敗にこだわって、恥も外聞もなく、引き分けを勝ち取りに行ったのだと思います。

コンピュータとの戦いの中で最も「人間らしさ」を見せた棋士に対して
「二度とこういう将棋は見たくない」というのはあまりに悲しすぎる。





観戦記のなかで先崎学棋士(『3月のライオン』単行本のなかで解説コラムを書いている人)が
紹介していた本↓