明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

観光祭・夜高の思い出

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写真は今月1・2日にあった庄川観光祭夜高行灯。
今年からは夜高に使う電球をLED電球に変更したので
昨年までの白熱電球と比べて白く明るくなりました。

これを土曜・日曜ともに「ヨイヤサーヨイヤサー」奇声を掛け声を上げながら町内を押し
その年の夜高の出来栄えを競う夜高行灯コンクールとか
他の町内の夜高とぶっつけあう「合わせ(ケンカ)」が祭りの白眉というか
中心的催しになっています。

LEDに変えてなにがすごかったかというと
この電気を光らせるためのバッテリーが、なんと従来の半分の量ですんだらしいですよ。
重さにして300kg! くらい。
これだけ軽くなると、押している方も軽さが実感できるレベルで
去年までは死にかけながら押し上げていた登り坂も
今年は半死半生くらいのレベルでなんとか登り切ることができました。

個人的には白熱電球のほうがぼんやりとやわらかく光って
風情があって好きだったんですけどね。
LEDはやっぱり光が冷たく直線的で、イマイチです。
でもこの軽さには代えがたい…!

そして個人的に今年のトピックだったのは
祭りのある日曜日の朝から夕方まで
昨日まで書いていた「グランフォンド富山」に出場するというスケジュールだったんですね。

つまりこれだけで

土曜夜に夜高押してケンカ

日曜朝からグランフォンドで130km自転車走行

日曜夜に夜高押してケンカ


というスケジュールに。

更に実は、この地域では本来夜高を押さない金曜の夜に
近所を練り歩いてご祝儀を集めるという行事が。
これは大行燈は出さないのですが、子どもたちが押す「中行灯」を押しながら
それでもやはり3~4kmくらいは坂道を登ったり下りたりしなければなりません。

そしてさらに実は、この金曜日の午後に
「明後日グランフォンドやしちょっと走っとかんなんな!」と思い
突発的に福光を超えて金沢まで行きまた戻ってくるという山越えトレ(60kmくらい)を実践!

つまりこの週末のスケジュールは

金曜夕まで金沢往復峠トレ(60km)

金曜夜、夜高(中行灯)を押しながらご祝儀集め

土曜夜に夜高押してケンカ

日曜朝からグランフォンドで130km自転車走行

日曜夜に夜高押してケンカ

という、何が何だか分からない
夜高と自転車に彩られた過密スケジュールに…。

もちろんどちらも自分の意志で参加していることなので
誰が悪いということはありませんが。
しいていうなら自分です。

何を思って自分をこんなにイジメているのか。
しかも先日もちょろっと書きましたが
土曜夜の夜高曳き廻し&ケンカのせいで興奮してしまいすっかり寝られず…。

「合わせ(ケンカ)」というのはその名の通り夜高同士をぶっつけ合わせて競うことで
まず地区の代表者「裁許」同士が打ち合わせをして
開始時に離れる距離と、何本勝負でやるかを決めます。

距離はだいたい3~5mが多く、本数は1本勝負か、少し元気があれば3本勝負です。
裁許による「○○会準備はいいかー!」の掛け声に「おお」と返し
夜高の後ろにいる人は押し
前部分にいる人はそれに押されないよう、カラダで丸太を止め足でブレーキをかけます。

そしてホイッスルの合図!

後ろから押している人も、これまで夜高を抑えていた人も全員、
目の前にある丸太に体をぶつけるようにして全身の力を込めて押していきます。
巨大な夜高は機関車のように突進し
向かい側からやってくる相手の夜高に轟音を立てながら正面衝突。

衝撃。

さながら大相撲の立会いのようなおもむきと迫力があり
大きさで言えばダンプとダンプがぶつかるようなもので
ただ大きいモノと大きいモノがぶつかり合うというだけでも、単純な興奮があります。

そのとき衝突力・突進力の差があれば当然そのまま弱いほうが下がって行きますが
力が拮抗して動かないときには

「煽れ煽れ!」

と誰かが叫び、夜高を上下に振ります。
シーソーのようにギッコンバッタンと煽っているうちに押している人も疲れてくるので
圧力に耐え切れなくなったほうがズズズ…と次第に下がっていきます。

見たことはないですが
サイや象のケンカとか、トリケラトプスがケンカしていたとしたら
こういう様子になるのではないのかなぁと想像させられるような風景です。

2ヶ月以上の長い時間をかけて製作する夜高行灯は
自分の地区の象徴的なものになっているので
それがこう、無残にも一気に寄り切られたり、熱闘の末に押し込まれたりするのは
なかなか悔しいものです。

ただまぁ、もちろん押すのは全員でやることなので
個人の目で見ると、自分が相手をしているのは相手の行灯というよりも
目の前の丸太を押したり、上から押したり下から持ち上げたりという
だいたいこれだけなのでやってることは単純です。

そして決着すると2台はすみやかに離れアタマをシボります。
(アタマをシボル=夜高の前部分を地面につけるように下ろすという意味)。
決着のホイッスルが鳴っても離れずに押したりすると、やられた方は大変腹が立つので
喧嘩の原因になったりします。
(まぁケンカと言っても殴り合いというより揉み合い程度ですが)
(それでも何年か前に倒れて骨折者がでたりしていてなかなかオソロシイ)

決着がつくと間髪入れずに若い衆が自分の地区の夜高に乗って
夜高に張ってある綱を掴んで無闇矢鱈に揺らしたり
相手の夜高を挑発するように手を中空で「コイコイ」としたり
歌を歌ってとにかくなにをするかというと、騒ぎます。

「○○のチャッチャ~ ヨ~チャッチャ~ 焼き飯持~って こ~ろがしてこい♪」

という、いつ頃からか代々伝わる煽り用の歌というか文句というか
そういうのを歌ったりしながら騒ぎ立てます(○○には相手の地区名が入る)。

ここでは

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というのを誇示するためにやっているようなもので
言ってしまえば、まぁ、騒ぐことに深い意味はないのです。

その間に2台の夜高の中心では
それぞれの地区の代表者である裁許が、互いに日本酒立山」の一升瓶(未開封を贈り合い
(別に立山じゃなくてもいいんだけど、まぁだいたい全部立山
それを唇に付け、天に立てるようにして逆さにし喉に流しこんでいきます。
こうして飲むと瓶の口から底へ向かってと泡が立つので
実際に飲んでいるのか、飲んでるふりをしているのかが周りからもひと目で分かるのです。

周りが一心不乱意識不明踊り念仏状態の声と動きで煽り立て、
行灯の極彩色の明かりに照らされながら一升瓶を振り上げて
茶色いガラスの中をコポリコポリと大きな泡が上っていくのを見るのは
なかなかいい光景です。

先に音を上げて飲むのをストップしてしまったほうが負けです。
これは別に勝負ではないのですが、負けです。

ハッキリ言って危ないイッキ飲みなのですが(笑)、
毎年やってることなので飲む方もわかっていて
実際には飲んでない(泡が出てない)状態のまま終わっても、誰も何も言わないという
プロレス的日本のやさしい世界が成り立っています。

しかし赤や青や黄色や橙やあらゆる色で彩られた夜高が光る街の通りが
極彩色に輝き騒ぐそれはまさしく非日常の空間と世界観で
蒸し暑い風が撫ぜるなかで全身から汗を吹き出し押し合いへし合い勝負するなんてことを…

そんなことをやっていたらアドレナリンが出たのか眠れなくなったんですね。
次の日4時に起きないといけないというのに。

それで結局12時くらいに家に戻って4時間くらいベッドの上でゴロゴロし
体は休められたけど眠りに落ちることはなくグランフォンドへなだれこんで行きました。

行きと帰り、居眠り運転防止のためと体に栄養を与えるために
リポビタンDアリナミンVウコンの力ユンケルスパークリングをちゃんぽんで飲み
トドメに体を回復させる粒状アミノ酸をまるたかやのラーメンで流し込んだら
体のなかでいろんなケミストリーがスパークしたのか
さすがにやや気持ち悪くなりましたね

そして日曜日は日曜日で再び夜高の合わせを繰り返し
祭りが終わる22時ごろには旧庄川町役場前の駐車場へ各地区の夜高が集結!

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こんな感じで集まり
祭りのフィナーレをやはり騒いで飾ります。
ヨイヤサーヨイヤサーと囃し立て
歌を歌って手を叩き
夜高に乗ったり行灯をつくる針金部分を掴んで逆上がりしたり。
できる限りの悪行狼藉というか、あらゆる賑やか示威活動を行います。

この時は各地区の夜高が壊れんばかりに振られ、煽られ、
町内から集まった日本酒をシャンパンファイトのように雨あられで振らせます。
当然夜高は紙なので酒に濡れると破け、塗料が落ち、流れます。

そのとき下に居ると顔面歌舞伎でカラフルになる悲惨な目に…(あいました)。

そのようすはそのようすでやはり、かなりロックというかパンキッシュ
なんかもう世の中の些事が全てどうでも良くなる心境に至りますね。
だってアタマから酒かぶってるんですよ。
雨のように降ってくるんですよ「立山」が。
夜高に貼られてた紙とかもビリビリ破けてズボズボ穴あいたりしてるんですよ。
なんかもうどうでもいいじゃないですか。そうなってくると。

いいや。いいさ。
良いや。良いさ。
よいやさ。よいやさ。

ヨイヤサー ヨイヤサー。

ヨイヤサー ヨイヤサー。

ヨイヤサー ヨイヤサー。

酒をかぶってもヨイヤサ。
ケンカになってもヨイヤサ。
祭りなんだからヨイヤサ。

景気が悪くてもヨイヤサ。
仕事がなくてもヨイヤサ。
毎日ツラくてもヨイヤサ。


「ヨイヤサー」という掛け声は、
2日間に渡るこの狂騒全体を鼓舞し続けるその祭りの咆哮は
なにがあってもこれでいいのだと
普段の生活が楽しくなくても、苦しくても悲しくても良いのだと
今日だけは、祭りのときくらいはそんなことは忘れて騒いで楽しめばいいのだと。

すべてを肯定する一言。

そういった心境がこめられた文句というか念仏というか呪文の一種で
それが「ヨイヤサー」という掛け声なのでしょう。

つまりこれが日本全土にひろまれば「ええじゃないか」になるのではないかと。
他愛ないことを思ったりしました。

「ヨイヤサー」という言葉は祭りの時に大勢の口から一致して発せられ
大勢を宗教的トランス状態に似た興奮状態に高めるためのキーワードであると思えば
「祭」がその字の通り「祭祀」であり歴とした宗教行事であったことを
思い出させてくれる言葉でもあるような。ないような。
そういうことを思わせる2日間でしたね。

結論がグダグダになってもヨイヤサ。


そうして最後には三本締めをし、夜高は再び各地区へ帰り、バラされ、来年までしまわれます。
今年もいい祭りでした。
おわり。