「手話落語」なんていうものがあるのか!
画像は「手話落語」なるものの看板。
この前イオン高岡であって、しかもそれが入場無料だというので見に行ってみました。
< 手話落語 - Wikipedia >
>創始者は4代目桂福団治。
>自身が一時的に発声障害に見舞われたことをきっかけに
>聴覚障害者の楽しめる落語を作ることを思いつき、実践を始めた。
あっこの人が創始者だったのか…。
そういえば落語を始める前に「なぜ手話落語というものを始めたか」という話もしていて
その時にそういうことをおっしゃっていたような気がします。
どういうものかというと
まぁそのまんまなんですが
落語の話を喋りながら手話で同じ事をやるんですね。
NHKの手話ニュースみたいなノリです。
そして思ったのは
落語家の表現力ってすごい! っていうこと。
最初に手話落語をこの桂福團治さんがやって
その後に観客の中から「やってみたい人~」と言って高座にあげ
実際に簡単な手話落語をやっていたんですが
やっぱり普通の人がやると…面白く無いんですよ! 笑。
同じ話を同じように喋ってる(手話ってる)はずなのに
やっぱり落語家さんがやると面白さがあって
普通の人がやると別に面白くない。
あのー、普通の友達とかでもいると思うんですけど
その人が話すとそんなに面白く無い話でもなぜか爆笑しちゃうっていうような。
違いはおそらく喋り方、間合いの取り方、動きの表現力とかそういうところ。
落語家さんがやる手話は、手話以上の「身振り手振り」としての表現力を持っていて
話の意図や面白さが120%伝わってきます。
表現する力があるから表現力というのだなあ。
やっぱり落語というのも
広いカテゴリで見ると「一人芝居」、ひいては「演劇」にカテゴライズされるべきもので
そこにはプロフェッショナルな演技力が求められる芸なんだなあとも思ったり。
ちょっとだけ「時そば」をやってらしたんですが
そばを啜るシーンなんかはパントマイム芸の世界ですね。
ちなみのそのときアマチュア手話落語の壇上で演じられた小話。
. ↓
道の向こうから、男の人がやってきて
A「あの人、見たことがあるなー、誰やったかなー。
. 忘れてもた…。すみません、あなた誰ですか?」
B「アホ! お前のオヤジや!」
笑。
ちなみに桂福團治さんは上方落語の人なので、喋り言葉は大阪弁です。
そしてちょっとおもしろかったのは
なんでも手話にも「方言」があるそうで
「誰ですか?」というのは、関東と関西で手の動きが違うのだそう。
< 日本手話の方言 - Wikipedia >
>関東と関西の方言差の成立は明治初期に聾学校が東京と京都で
>別々に設立されたことと関係する
(´・∀・`)ヘー
なんか不便がありそうな気がしますが。大丈夫なんでしょうか。
ちなみに
>なお、韓国手話、台湾手話、日本手話は単語において60%(諸説あり)ほど
>共通しているという報告もある
(´・∀・`)ヘーヘー
つまり手話を使えば、韓国・台湾の人と6割意味が通じる!
普通に言葉を使っている人が言語の壁で意思のコミュニケーションが阻害されているのに
手話だったら通じちゃう… なんてことがあると、ちょっとアイロニカルで面白いですね。
最初に手話落語をやり、その後で手話を使わない落語をされていたのですが
演目は人情話の「薮入り」でした。
あっへーWikipedia(上のリンク)に書いてあるのと内容ちょっと違ったわ。
やっぱり上方落語だからかな。
そしてこの桂福團治さんは人情話の名手と呼ばれているようで
薮入りで久しぶりに故郷に帰る小僧さんとその両親の愛情を語るあたり
ぐっと胸に迫ってじわっと涙がちょちょぎれる、いい話でした。
しかし、関西弁なのがなぁー。
これはたぶん江戸落語でもそうなのでしょうが
お涙頂戴の人情話であればなおさら
自分のとこでない方言で喋られると、テレビかなにか、別世界のように感じてしまい
感情移入を阻害される原因になりますね。
そういった意味で、富山県出身の落語家・立川志の輔が富山弁でやっているという
「志の輔落語」を一度見てみたいと思いました。
調べてみたら富山で毎月1回やってるみたい。
自分の耳とカラダとこころに馴染んだ、その土地の方言で落語が聞けるというのは
全国的に見るとかなり珍しく、そして幸せなことだと思います。