明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

漫画みなもと太郎『風雲児たち』面白い

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画像はみなもと太郎の漫画『風雲児たち 幕末編』。
電子書籍サイト・イーブックジャパンで1~5巻が無料公開中です。
(※追記:終わりました)

無料なので読んでみたら面白かったのでご紹介。

つーかなんと30年前から連載されている(今も連載中!)漫画で
こんなに長寿でかつ面白い漫画というのを、全く知らなかったというだけで
ちょっとショックです。

誰か俺に教えておいてくれよこういう面白い漫画があるっていうことをよぉ!

まぁ… なにせ出版社が潮出版リイド社という マニアック 通好みなところだったりですしね…。



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内容としてはタイトルの通り
江戸時代末期、幕末のペリー来航から開国、明治維新につながる日本を
個性豊かなキャラクター ――風雲児たち―― とともに追っていきます。

歴史漫画なので当然その過程で「へへえ~」と唸る情報もワンサカ。
それでいて、ギャグが多めで、キチンと「漫画」であることを見失わず笑いながら読めます。
(ただしえらく懐かしい感じのセンス/個人的には好きです/笑)

こと歴史漫画となると、(歴史漫画以外でもそうですが…)最近はすぐに
「漫画」であることを忘れてシリアス一辺倒の内容になりがちですから
こういう、小さいデフォルメされた頭身で、ギャグを忘れない内容の漫画は嬉しくなりますね。

昔っぽい漫画というか… 昭和っぽいというか……。

え、もちろん「昭和っぽい」というのは褒め言葉ですよ。
昭和生まれですからね。

オーソドックスなマンガ表現技法を使いこなしていて
情報量とネームの多い漫画なのに読みやすく、読んでいて疲れない!

言い換えるとそういう風になるかと思います。
いまどきこういう3頭身キャラの漫画って本当に少ないよなー。
(特に若者には)そういう画風は「絵が下手」という風に捉えられがちなんですが
全然そんなことはなくて、写実的に描かれている蒸気船や帆船や馬はむしろとても上手です。

書きやすく読みやすいように、わざとデフォルメしとるんや!

ということをね、若い読者は、わからない人が多い。

さて、上の画像は『幕末編』の5巻で
ペリーがいよいよ2度めの来航をして本格的な交渉に入る前のシーン。
その続きでは、今話題の「小笠原諸島」の帰属問題についても交渉されています。


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ペリー「小笠原諸島さぁ… アメリカの領土にしたから… ヨロシクネ」。

日本「」。


もちろん、現代を顧みれば分かる通り
この後日本側も巻き返して、無事小笠原諸島は日本の領土と認められるのですが
その流れが実に痛快というか、面白く描かれているので
ぜひその目で確かめてみてください。
(そのくだりは『風雲児たち 幕末編』5巻のP169~)

それにしても、特筆すべきなのは。
タイトルが『風雲児たち』となっている通り
連載開始当初(30年前)から、舞台は19世紀の幕末期になることは決められていたわけです。

なのにこの漫画、最初は1600年の関ヶ原の戦いからはじまるんですよねえ…。
(幕末に入るまでは『風雲児たち』というだけのタイトル)

幕末を書くには前提として、260年の江戸時代を書かなければいけない→
江戸時代を書くには、最低限、家康がどのように天下を取ったかを書かなければない→
関ヶ原の戦いの戦い書かなきゃ(使命感)。

という風に考えたのかどうかわかりませんが
とにかく普通、幕末モノを書くったら「ペリー浦賀に来航」をオープニングにする作品が多い中
関ヶ原ですからね。

まぁ、確かに、そのいくさでの結果が強力な幕藩体制を作って
「雄藩」や「外様」といった藩の序列を作って
それがまた幕末期の動乱につながっていく…というので

「歴史をひとつの繋がりとして見る」というのはとても良い考え方と思います。
(幕末編でない無印のほうを読むと、「○○が○○だったから◯◯ったのだ…」という
. 単純すぎるカウンターストーリーになりがちな感はありますが、幕末編はそれも少ない)

そんなわけで面白いですよ。『風雲児たち』。

漫画としても、歴史読み物としても。

この漫画が家に置いてあったら、その家の子は間違いなく歴史が好きになると思う。




あとちょっと思ったのは、同サイトの作者インタビュー

>『蘭学事始』で 杉田玄白が、ターヘル・アナトミアの翻訳を始めた当初のことを
>「艪舵なき船の大海に乗り出せしが如く」と言っているけど、
>それと同じ心地がずっとしているね(笑)。


と言っていて、ひょっとして三浦しをん舟を編む』に出てくる
「辞書は、言葉の海を渡る舟だ」。
という印象的なセリフはその『蘭学事始』の記述も下敷きにあったのかなーなんて。
おもったり。

日蘭辞典がなく『解体新書』の翻訳に四苦八苦するキャラクターたちの奮闘も見どころです。