明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

映画『魔女の宅急便』観た(酷評)

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画像は映画『魔女の宅急便』公式サイトTOPページ
3月1日公開で、まさに今日見てきたわけですが
感想を書いておきます。

先に書いておくとあのー、すごく悪い感想になります。
なのでもし「いやーこの映画面白かったなー。感想検索してみよう!」とか
この映画についてポジティブな感想を求めている方には
腹立たしい内容になることが想像されますのでご了承ください。

なんだろうな~…
ジブリ版『魔女の宅急便』を好きな人がこれを見ちゃうと、こうなる、ってことなのかなあ。
でもこの映画見に来る人って大抵そういう人になるんじゃないかなあ…。


主演の子はよかった! 主演の子は!
あとカバのCGと音楽!



●あらすじ

魔女を母親に持つ14歳の少女・キキは
魔女になる修行&試験のため、魔女の居ない街で1年間すごさなければならない。
そしてキキが選んだのは灯台のある港町、そして選んだ仕事は「魔女の宅急便」だった。

パン屋に住みこみながら働くキキは
人力で空を飛ぶことを夢見る少年・トンボと出会ったり
街の少女の悪意に触れ魔法が使えなくなったり。

まぁ原作が同じなのでおおよそジブリ版を観たことがある人はだいたいわかるかと。




●感想








あのホントに酷いことしか言ってないですけどご了承くださいね。
怒んないでね。












ちょっと近年飛び抜けた糞映画でしたね! これは!

なに!? どうした! なにがあった!?

まさか最初からこの到達地点を目指していたわけではないだろう!
なにか事情があってこうなってしまったんだろう!?

…と、聞きたくなるくらいの。

いやはや。
なんともはや。
どうしたものか。

言いたかねえけどクソだね。

ここまで言ったらどこがどう糞だったのか具体的に書かないわけにも行かないでしょうが
まぁそれも「何が、どこが…っていうか…」と言葉をちょっと失うくらい
なんか根本から間違ってるというか… 

この映画に一番必要だったのは「やめる勇気」、「企画をボツにする勇気」だったと思います。

だってどうやったってジブリ版『魔女の宅急便』に引っ張られるに決まってるじゃないですか!
映画なんかにしたら!
キャラクターだって設定だって映像だって何につけても!

逆に言えば、
この作品を実写化するとき成否を握る鍵というのは、
宮﨑駿版をいかに脱するか
もしくはうまく換骨奪胎してエキスだけを利用して
いかに新しい『魔女の宅急便』像をつくり上げるか、というところに行き着くと思います。

で、それが全然ダメ!

これはある程度仕方ないことかと思いますが

ジャパニーズファンタジーを実写でやるのは難しい! んですよ。普通に考えて。

だっていくら冒頭の「魔女の谷」をCGで
土くれの山の中に洞穴を掘って作ったような幻想的なイメージにしたり
場面の年代を具体的に何年ごろの設定かわからないようにしたりしても
(どうやら電灯はあるけど巨大な発電所や工場や大企業やスーパーマーケットはない頃)
(あえて言えば大正~昭和初期のふぜい)
着てる服がどう見てもミシン縫いの機械縫いで
コンクリートで塗り固められた崖にはよくあるアホみたいなイラストが書かれていて
どうやったって現代の日本がチラ見えしてるんですよ!

そんなの『魔女の宅急便』を実写化しようってんならそういう問題点は当然把握していて
その上でクリアできるという、ジャパニーズファンタジー映画を作れるという
自信があってやってると思うじゃないですか見る方は!

全然できてないんですよ!
世界観がクソとしか言いようがないんですよまず!

新しい『魔女の宅急便』の世界観を確立できてないんですよ!

日本の街を使ってロケして
無国籍風の(東洋の小さな町とされている)国をつくろうとしたって無茶なんですよ!
だって小学校とかめっちゃ鉄筋コンクリート造りやんけ!

お前、そんなもん、お前…。
無国籍もクソも… ファンタジーもクソも…
どっからどう見ても現代日本のよくある普通のたてもんやんけ…

っていうね!

映画全体の世界観がやっぱり統一できてない印象を受けました。
それは主題歌もそうで、シンセドラムのハイハットをやたら連打するような
電子的な音作りとか、全然『魔女の宅急便』の世界観とは違うじゃないですか。

それで街の人の服とかは大正~昭和っぽくしてるのに
映画序盤で出てくる動物園の飼育員は思いっきりTシャツに茶髪の現代風で
「茶髪の兄ちゃんにしばかれるキキの図」ってかなり『魔女の宅急便』世界から離れてるでしょ。
なんかホントにそういう…。

ジャパニーズファンタジーを実写映像化しようという無謀な試みにチャレンジするなら
チャレンジするなりの勝算があってやっているのかとおもいきや
別に、無い。
という。

実写化することで脱・宮﨑駿、宮﨑駿超えという試みにチャレンジするなら
やはりなにか勝算があってというか面白くなる確信があって制作に望んでいるのかとおもいきや
別に、無い。
少なくとも、感じられない。

という。

「『魔女の宅急便』を実写化する」と聞いた時に、聞いただけでも
「そんなんどうやったってやりようのない問題点がいくつかあるだろ…」と思い浮かぶものが
「それでも敢えてそれをやるというなら、何かそれをクリアできる目算があってやるんだろ…」
と思い、そのクリアの仕方を楽しみにして行ったら
別にクリアできてない。という。

やりようのない事について、やりようのないまま、やっている。

こんなんクソ映画と言わずしてなんというんですか。
それクリアしないんなら最初からボツった方がマシでしょ。

俺だって最初はなんとか擁護しようと思いながら見てたんですよ!
宮﨑駿に挑戦するようなもんですから!
難しいジャパニーズファンタジーに果敢に挑戦している映画ですから!
そういうチャレンジは応援したくなるのが人情ってもんですから!

でもね!
擁護のしようがないの!



映画の対象年齢がどこかわからない。
子供なのか、大人なのか、作中の主人公と同じ14歳頃の少女なのか、少年なのか。
ジブリ版のファンが喜ぶものにするのか
ジブリ版のファンが怒っても、新しい『魔女の宅急便』像をつくり上げるのか。

どれも中途半端です。

誰向け…? どこ狙い…? なの…?

せめて明確な観客像が見えていて
こういう人のために、こういう映画を、こういう面白さを提供したい…
があればよかったんですけど。

そうだったら
自分はこの映画のターゲット層じゃないから面白くは感じなかったけど
ああいう感じの人が見れば面白く見られるだろうな… とかなるんですけどね。
それがどういう人なのか思い浮かびません。
企画の目的意識が見えませんね。

ただ企画があって、それに乗って、ただホイ作りましたよ、というような。印象を受けます。
そんなの面白くなるわけないんですよ。

ひょっとしたら本来のターゲット層だった小学校低~中学年くらいの子供が
映画の最中に「ねえもう帰ろうよお~」と言ってる声が何度も聞こえてきたのが悲しかった。
「そうだよなあ…この映画つまんないもんなあ…」としみじみ思いました。

彼らくらいの年代ならば
この時間でジブリ版の魔女の宅急便を見せてたほうが
どれほどマシだったかわかりません。

だからもしこの映画に小さい子供を連れて行こうと思っているお母さんがいたら
それはTSUTAYAジブリのDVD借りてきて見せたほうが金額的にもよっぽどいいです。

おそらくそこの、小さい子供たちというのはターゲット層じゃないんでしょうね。
だってそこ狙うならジブリ版と変わらないですから。
ジブリ版と変わらないなら映画作る意味ないですから。

ジブリ版『魔女の宅急便』が「大人も楽しめる子供映画」だったのに対して
こちらは「子供も楽しめない大人映画」になってしまったのではないかと思ってしまいます。
ある意味、新しくはある。

いやはや。
ちょっとビックリして。
あまりのクソさに。


これはあれですね
キャシャーン』とか『デビルマン』とか『ガッチャマン』とか海外では『ドラゴンボール』みたいな
「なんでこんな実写化してしまったん…」となる系譜に連なる作品ですね。
デスノート』とか『ヤッターマン』とか面白い実写化作品もあるのになあ。

そのうちこういう黒歴史実写化作品をすべて観て、ランキングというのを作ってみたい。
すべて視聴するというのが自分を拷問にかけるみたいでつらそうですが。

それにしたって『魔女の宅急便』つったらだれでも知ってるビッグネームじゃないですか。
それをねえ、こんなクソ映画にしあげるなんて。
ねえ。
ちょっと思いもよりませんでしたね。


●よかったところ

くさしてばかりでもなんなので
良かったところもいくつか強調して書いておきます。

・主演の子

キキを演じていた主演の小芝風花? さんは良かったです。
キキっぽくあり、それでいて宮﨑駿の「トイレに行かない」とまで言われた
理想像ヒロインを脱した「生身のキキ」というのを演じられていた感じがあります。
わがままも言うしかんしゃくも起こすし。
ヒロインは良かったと思います。

あのーこれは実写化する際の「やりようのないこと」の最たるものだったと思います。
キキを演じて違和感のない女優を連れてくるっていうのは。
まして日本人で。

ところがこれに関しては割と違和感なく見られましたね。
や、まぁ、もちろん、より理想を言えばあるのですが。
作中14歳設定だけど実際には16歳時撮影だとか。
ちょっとキキのイメージ、「少女」というには大きすぎるというか。

それでもその辺にはちょっと目をつむるだけで
かなり「キキ」です。小芝さん。

彼女だけみてれば確かに実写映像化する理由がないでもないと思えます。
彼女を「キキ」にして『魔女の宅急便』を実写化しよう!
ここまでは良い感じです。

ただ全体のクオリティがね…。
「映画」になってないというか…。

これがテレビでやってる2時間くらいのスペシャルドラマなら
全然許せるクオリティではある思うんですが…。
映画とドラマはやはり別物ですよ。


・努力の跡は見える! 努力は!

先に書いた「ジャパニーズファンタジーの世界観の確立(の難しさ)について」というのでは
確かにこの作品を日本っぽいところでやるなら大正~昭和っぽいファッションや
文明度というのが似合うだろうなあというのは理解できますし
なるべくそれに近づけていこうという制作側の意図は確かに感じられます。
これはいいと思うんです。

なのですが、ところが茶髪で英語Tシャツのお兄ちゃんが出てきたり(それも序盤で)
なに…? 結局… どうやねん、どういう世界やねんという。
観客に混乱をきたしますよね。

努力の跡が見えるだけに、意図にそぐわない衣装やものが
えらく悪目立ちしてしまいます。


・音楽

音楽は良かったように思います。
あのー…良かったと思います。

音楽ってどうやって褒めたらいいかわかんねえ。笑。


・動物のCG

ストーリー上、カバがスゲー出てくるんですけど
肌の質感とかやたらリアルです。

ジジとかサルとか、毛のふさふさした動物は「あっCGだな」と分かるんですが
カバはかなり実物に近いような気がしましたね。

ジジの挙動も映画の「これどうすんねん」ポイントではあるのですが
そこはかなりのクオリティでクリアできてたと思います。


ジブリ的な、見てて面白い飛行シーンもいくつか

キキがホウキで飛ぶシーンが多数出てくるのですが
なかでも「初めて海を見たとき、海面スレスレに飛んで海にさわる」シーンと
「ホウキに色とりどりの洗濯物を付けて飛んで乾かす」シーンは
ジブリ的でありながらジブリ版にはなかった新シーンとして楽しく見れました。
(洗濯物のシーンは原作通りらしい)

しかしその分「このシーンを宮﨑駿に描いて欲しかった…」と思ってしまうので
痛し痒しですね。結局ジブリ版の影響を脱しきれてないという事にもなりますから。

あとホウキのシーンに関しては不満も多くて
「浮く」んじゃなくて「飛ぶ」なんですよホウキは!
まるでUFOのようにスイーと動く、安い動きになってしまっているのにはハッキリと不満です。

あとなんか映画が後半に行くにつれて
いかにもブルーバックで撮影&合成したなあとわかるシーンが多くなります。
序盤の、港の市場を鳥瞰するシーンは良く出来てただけに
後半の雑なシーンが悪目立ちしてしまいましたね。


・豪雨の中でマツコデラックスがびしょ濡れでオペラ歌ってたら

面白いよね。

正確にはマツコではないしオペラでもないのですが
マツコに似た人がそのようなことをするシーンがあって(シリアスなクライマックス)
スゲー爆笑してしまいました。

制作の意図(感動のシーン)とは全然違うのですが
あんなもん笑うなっていう方が無理です。

ここのシーンを観た時にもう、これは、擁護するのは無理だなと。
思いました。
突き抜けて逆に面白いところまで行っちゃってるもん。



そんなところですかね。
いやー、長い108分だった。辛かった。