明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

伊集院静『ノボさん』感想

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画像は伊集院静『ノボさん』。
主人公は明治時代の歌人俳人正岡子規

野球を日本に紹介した人としても有名です。

こないだ感想を書いた『赤ヘル1975』ほど強くおすすめ! というわけでもないのですが
読んだので簡単に感想や心に残った歌などメモしておこうかと。


<あらすじ>


学生・後輩たちと「べーすぼーる」に熱中する姿や
夏目漱石森鴎外高浜虚子河東碧梧桐など明治の文学者の交わる様子
俳句の体系だった総分類など生涯を通して取り組んだ仕事などを通して
正岡子規の一生を描く。

伊予松山で漢学者の孫に生まれた正岡升(のぼる)は上京し帝国大学に進学。
おじで後見人の陸羯南の「日本」新聞社で記者をするが、従軍記者となった折、病を得る。
大学をやめ、俳句・短歌の復興運動に熱中していくが、病は確かに体を蝕んでいく。


<感想>

正岡子規、すげえ…。

36年の短い一生のなかで
あるいは短いからこそその生命を自身の仕事に燃やし尽くしたその姿は
落ち着いた筆致とは逆に実に熱烈で、深い感動を生みます。

子規と漱石が仲良かった、というのは明治文学では有名な話なのですが
その友情の様子を描いた作品ってたしかにあまりなかったなあと。
坂の上の雲』ではチラっと出てくるんですけど、ちらっとですしね。

明治文学、またその後に続いていく近代日本文学の大きな流れの黎明期
その萌芽は常に正岡子規とともにあったと言ってもいい。

この本を読むとそんな感想すら浮かんできますね。

だいたい… 文学部史学科! 日本史専攻! 卒論は日露戦争 なんていう…
俺みたいな人にジャストフィットな時代背景の小説ですからね。
面白く読めるに決まっとるんですよそんなの。

作中で特に心に残ったのは

「『写生』というのはただ見たままを詠むのではない。いや、見たままを詠むのだけれど、それは本当にそのまま詠むのではなくて、対象を見て『美しい』とか『きれいだ』とか思った心をその句に込めて詠むのだ。そのときの心まで歌に込めるのを『写生』というのだ。美しいと言わずして美しさを表す、悲しいと言わずして悲しさを表す、それが肝要だ…」

というような部分ですね(意訳)。

そういう観点で過去の膨大な句を鑑賞し、与謝蕪村の再評価にもつながるわけです。
たしかに蕪村の代表作であるところの

・ 菜の花や 月は東に 日は西に


なんて句は、たしかにそこにあるものをそのままてらいなく詠んでいるようでいて
深く鑑賞すれば、夕べの一面の菜の花畑の美しさを描いておりますものね。
(日は西にあるし月は西にあるし、両者は「菜の花」の地平線でつながっている)

そして子規の

・ 柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺




・ 漱石が来て 虚子が来て 大三十日(おおみそか


や、野球の歌

・ うちあぐる ボールは高く 雲に入りて 又落ち来る 人の手の中に


や、漱石が自分の長女が生まれた時に読んだ句

・ 安々と 海鼠(なまこ)の如き 子を生めり


という諧謔味あふれる句の中にもその傾向を感じ取ることができるかもしれません。


あと漱石と子規の友情を感じさせる句として

・ 鳴くならば 満月になけ ほととぎす


というのがありました。
これは帝大をやめようとする子規を引き留めようとする漱石の句です。

そもそも子規というのはホトトギス(時鳥とも書く)のことで
正岡升が自分に子規という名をつけたのは自分が喀血した後に
「血を吐きながら鳴く」という故事のあるホトトギス
「血を吐きながら歌を読み、句を作る」自分になぞらえたゆえで
それにまつわる句もあります。

・ 卯の花の 咲くまで鳴くや 子規(ほととぎす)

大喀血で自身の病状・死期を悟りつつ、自分を「子規」と称するきっかけとなった句です。
 子規の死期… 

国語の授業で習う

・ 今やかの 三つのベースに人満ちて そぞろに胸の内 騒ぐなり

という短歌も、何も知らなければ
単に野球観戦をしてる人の感想、と受け取ってしまうかもしれませんが

「若い頃に野球に熱中したけれど、今は病気で満足に体を動かすこともできない青年子規」

というのを知ってから聞けば、むしろ哀れを誘います。
そういうのも知れてよかったですね。

伊集院静の文章については
「落ち着いた筆致」と上で書きましたが
冗長を徹底的に廃した文体で必要十分な情報を記載した文章は
中学生くらいの子から老人まで分け隔てなく楽しめるかと思います。

途中ちょっと淡白過ぎて
まるでパンフレットの説明文のように味気なく感じるところも
無いとはいいませんが。

それでも冷静な文章だけに
その中でグッと来るところがより引き立ちます。

だって正岡子規を主人公にするってんなら結末はもう
「病気(肺結核からの脊椎カリエス)になって死ぬ」
に決まってるじゃないですか。
わかりきってるじゃないですか。

それでもやっぱり死ぬ瞬間は泣いてしまいましたからね…。


だからまあ
そのような感想をまとめてひっくるめると

「病床のなか、近代文学確立の流れの中で俳句・短歌の革新や復興に尽力した正岡子規の人生と青春が静かな筆致でよくまとめられている。冷静な文体だけに、子規の熱烈な生き様・死に様が一層際立つ。多数の歌や句も添えられて、単にそれのみを鑑賞する以上の楽しみを得られる。夏目漱石を始めとした明治の文学者や同郷の秋山真之らも登場し、この時代やこの時代の文学に興味がある人は楽しく読めるはず!」

というところでしょうか。
ふむ。


あとは作中で紹介されていて心に残った句などを書いておくぞなもし。

・春や昔古白といへる男あり (子規が知り合いを偲んで詠んだ句)

・柊を幸多かれと飾りけり (漱石がクリスマスの倫敦を観て詠んだ句)

・屠蘇なくて酔はざる春や覚束な (漱石が倫敦で迎えた新年を詠んだ句)

糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな
・痰一斗糸瓜の水も間に合はず
・をととひの糸瓜の水も取らざりき

(旧暦8月15日には糸瓜の水を取る風習があったが、それもできなかった無念がこもっているという子規の辞世)

・手向くべき線香もなくて暮の秋
・きりぎりすの昔をしのび帰るべし


(子規の訃報を知った漱石が詠んだ追悼の句)

子規の死後、漱石は帰朝し、衰弱した神経をなだめるべく小説を書き始める。
その作品は発表後、親しい文学者たちから賞賛され、近代日本文学の鼻祖となった。
題は『吾輩は猫である』。
初めて掲載されたのは、子規も創刊に尽力し、名をそのままとった『ほとゝぎす』であった。
これも、ふたりの関係を思うと、趣深い。