考えない力
写真は神宮球場のバックスクリーン。
土曜日に交流戦の対オリックス戦を観てきました。
ふだんはライトスタンドがヤクルトの応援席なのですが、この日はレフトスタンドの一部もヤクルト側に開放されていたので、せっかくだからレフト側へ。
近くで見るとネオンが大きい!
しばらくこのブログを更新していなかったのですが、それには理由がありまして、やっぱりブログを書く際には3つのものが必要なのです。
それがなにかと尋ねたら(ベンベン
…まぁ大したことじゃないのですが。
書くこと(ネタ)と、書く時間と、書く元気が必要なのですよね。
その3つのうちひとつでも欠けている状態だと、なかなか、よう書けまへん。書けません。
ハッ
かけている、のに、かけない!
うん。
あとまぁ、前はなんでも思い付いたことを書いていたような細かなことも、最近はTwitterに呟いて満足しておわり!ということも多いですからね。
野球の結果と感想とかね。
テメー原樹理なに2打者続けて初球をぶっつけてんだよ、おかげで乱闘騒ぎじゃねーか。
乱闘騒ぎはいいにしても(よくないが)、結果14-9で負けて、あれよあれよという間に5連敗で借金9じゃねーか。
ことあとまだソフトバンク戦も残ってんのにどうすんだよこれ、セリーグ最下位独走体勢じゃねーか。
というようなことですね。
別にTwitterじゃなくてブログに書けば、自動的に毎日更新みたいなかたちにはなると思うのですが、手軽さがね。
Twitterは楽ですからね。
仕事で疲れたときに「おちんちんびろーんwww」とだけ書いてアプリを閉じればそれで済みますからね。
さすがにブログはそれではすまない気がします。
んで、当初なにを書こうかと思っていたのかというと、ここまでの話と関係があるようなないような、「日々のルーチンワーク」とかって言い方をすることってあるじゃないですか。
そして大概、いい意味では使われないじゃないですかルーチンワークって。
決まりきったことを、思考停止して黙々とやる…というイメージで。
だけど、そのルーチンワークこそがじつは、なにかその人をその人たらしめるというか、その人の能力…とは言わなくても性格や人間性を形づくるのではないかもいうことを最近思っています。
なんだろう、たとえば、魚屋さんを魚屋さんたらしめるのは、やはり市場から新鮮な魚を適切に仕入れて、適切な価格で人に売るそのルーチンであるというか。
たとえば僕にとっては、このブログを書くことがそれに繋がるのではないかとも少し思ったりはしています。
そして、そのルーチンを毎日行うときに、なにか考えていたり、(これは本当に役に立つのだろうか…)という思考(迷い)や、辛いなあという感覚は、邪魔になる。
仏教の辛い修行では、「心のまぶたを閉じる」…という言い方をすると聞いたことがある気がしますが、なにも考えない、感じないようにすることが、ルーチンワークをこなすには必要で、その力、ルーチンワークをこなす力というのは日ごろ無視されがちだけど、とても必要だし、重要なものではないかしらん。と思ったので、ここにこうして書き付けておきます。
まぁなんか電車でひまなときとかね。10分くらいでサッと日ごろ思っていることを書き付けておくというのは、精神衛生上もよい気がするので、たまにこうして書きます。書きたい。
土曜日に交流戦の対オリックス戦を観てきました。
ふだんはライトスタンドがヤクルトの応援席なのですが、この日はレフトスタンドの一部もヤクルト側に開放されていたので、せっかくだからレフト側へ。
近くで見るとネオンが大きい!
しばらくこのブログを更新していなかったのですが、それには理由がありまして、やっぱりブログを書く際には3つのものが必要なのです。
それがなにかと尋ねたら(ベンベン
…まぁ大したことじゃないのですが。
書くこと(ネタ)と、書く時間と、書く元気が必要なのですよね。
その3つのうちひとつでも欠けている状態だと、なかなか、よう書けまへん。書けません。
ハッ
かけている、のに、かけない!
うん。
あとまぁ、前はなんでも思い付いたことを書いていたような細かなことも、最近はTwitterに呟いて満足しておわり!ということも多いですからね。
野球の結果と感想とかね。
テメー原樹理なに2打者続けて初球をぶっつけてんだよ、おかげで乱闘騒ぎじゃねーか。
乱闘騒ぎはいいにしても(よくないが)、結果14-9で負けて、あれよあれよという間に5連敗で借金9じゃねーか。
ことあとまだソフトバンク戦も残ってんのにどうすんだよこれ、セリーグ最下位独走体勢じゃねーか。
というようなことですね。
別にTwitterじゃなくてブログに書けば、自動的に毎日更新みたいなかたちにはなると思うのですが、手軽さがね。
Twitterは楽ですからね。
仕事で疲れたときに「おちんちんびろーんwww」とだけ書いてアプリを閉じればそれで済みますからね。
さすがにブログはそれではすまない気がします。
んで、当初なにを書こうかと思っていたのかというと、ここまでの話と関係があるようなないような、「日々のルーチンワーク」とかって言い方をすることってあるじゃないですか。
そして大概、いい意味では使われないじゃないですかルーチンワークって。
決まりきったことを、思考停止して黙々とやる…というイメージで。
だけど、そのルーチンワークこそがじつは、なにかその人をその人たらしめるというか、その人の能力…とは言わなくても性格や人間性を形づくるのではないかもいうことを最近思っています。
なんだろう、たとえば、魚屋さんを魚屋さんたらしめるのは、やはり市場から新鮮な魚を適切に仕入れて、適切な価格で人に売るそのルーチンであるというか。
たとえば僕にとっては、このブログを書くことがそれに繋がるのではないかとも少し思ったりはしています。
そして、そのルーチンを毎日行うときに、なにか考えていたり、(これは本当に役に立つのだろうか…)という思考(迷い)や、辛いなあという感覚は、邪魔になる。
仏教の辛い修行では、「心のまぶたを閉じる」…という言い方をすると聞いたことがある気がしますが、なにも考えない、感じないようにすることが、ルーチンワークをこなすには必要で、その力、ルーチンワークをこなす力というのは日ごろ無視されがちだけど、とても必要だし、重要なものではないかしらん。と思ったので、ここにこうして書き付けておきます。
まぁなんか電車でひまなときとかね。10分くらいでサッと日ごろ思っていることを書き付けておくというのは、精神衛生上もよい気がするので、たまにこうして書きます。書きたい。