明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

買うべきか買わざるべきか、それが問題だ

イメージ 1

写真は秋葉原のスーパー跡地。
はて、ここにはたしかワイズマートか何かが入っていたはずなのですが…なくなっていました。

諸行無常

先日ちょっと書いたように、先月今月あたりはなぜかクレジットカードの請求が非常に高額で、こんなに非倫理的で非道徳的で人道に外れた請求をしていいと思っているのか…! という額の請求書が届いてしまっているのですが、しかし使ったのは他ならぬ我が身なので何とも言えない。
一体何に使ったのだろう…。

クレジットカードを使うのは、昔はAmazonの決済か、よほど高額でいちいち銀行から現金を引き出すのが面倒だなというときくらいしか使っていなかったのですが、近頃はポイントがほしいこともあって、数千円の品物を買うときでも気軽にクレジットで払ってしまいます。
そのほかマンガを今はほとんど電子書籍で買っているので、その支払いもありますが、それだってせいぜい5000円いかないていどのはずなのですが。

ううむ。
なぜこうも金がないのか。
私が金に拘泥しているのではない、金の問題が私を掴んで離してくれないのだ。

できることなら現金のことなんて何も考えずに、好きな漫画や小説やゲームやなんや、浮世離れしたことに専念して、ゲーム仙人のようにして暮らしていきたいとすら思っているのに、現実の問題がつきまとってくる。

金の問題から逃れるためにはよほど資産を潤沢にして、労働資産でない資産で投資を行い、資産のための資産、資産を増やす資産を作り、それをまた増やしていく…というようなことをしなければならないが、貧苦に喘いでいる今から、そのように資産をカルメ焼きのように膨れ上がらせるためには、やはり四六時中、銭儲けのことを考えなければならなくなるだろうし、それでは本末転倒の元の木阿弥なのである。

つまり私は構造上、金の問題から逃れえることができない。金のことを考えるなぞ好きではない、むしろ嫌いと言っても構わないのに、どうしても金は、金のことを考えろ考えろと抗えぬちからで強制してくる。
金という共同幻想のことを…。

ちょっと話が飛んでしまったけれども、とりあえず目の前の考えるべきことは、「何を買って何を買わないか」ということでしょう。
あらゆる節約術も根本はここにあり、「何のために節約をするのか」というのも、やはり何か不意に消耗する以上に大切なものを買いたいという気持ちが節約をさせるのであるから、この問題に帰着する。
で。
そりゃあ何も買わずに社会との関わりを断ち断食でもすればベストだろうけど、それはそうもいかない。
何も買わずに生きていくことはできない。
では、できることとは何かと言えば「無駄遣い」を可能な限り減らしていくしかない。
では、「無駄遣い」とは何か。

ことこうなると、人によって変わる価値観の問題になってくる。
他人の趣味のことなんか端から見れば無駄遣いに他ならなくても、当人にとっては何より優先されるべき人生の活力、命の根源、荒漠とした枯野に凛として咲く一輪の花、そのようなものであるから。
しかしそれをすべて許容していると話が前に進まぬ。予算が無いというのが話の出発点である。無い袖は振れぬ。財布を逆さに降ってもホコリしか落ちぬ。
では、無駄遣いとそうでないものを分けるものは何か。
とりあえず我が身の結論としては、形として残るものはセーフ、残らないものアウト、となる。(それでもどうしても欲しいものは重々購入を検討しあらゆる角度から批判を加えた上で一日くらい頭を冷やすべしと補足がつく)
この基準に照らすと、たとえば外食は形に残らないのでアウト。食費は家にあるものを食うことで抑えることになる。(しかし独り身の食費なんて、いくら抑えたところでたかが知れているという問題はある)
(といいながら2~3日前にアキバの肉めしを食った記事を上げた気がするけど、あれも熟慮の末、ブログのネタになると思って脳内協議の結果セーフと判定したのだった)
(ブログなら形に残るからね)。
(あとまぁ500円しなかったしね)。

あとはこの事態を受けて、家計簿アプリ「Zaim」をインストールしました。
とりあえず自分がいつ何にどう金を使っているのかつまびらかにして把握しなければならぬ。
財政再建の道は険しく遠い。