三浦九段がスマホをカンニングしているという切ない話
画像はWikipediaのラッダイト運動から。
ラッダイト運動というのは、19世紀イギリスで起きた機械排斥運動。
いま、プロ棋士の三浦九段が対局中にスマートフォンをカンニングして、「最適手」をこっそり調べていたのではないか、という疑惑が持ち上がっています。
<将棋ソフト不正疑惑、三浦九段のスマホ解析へ 提出要請 - 朝日新聞デジタル>
特別に将棋に思い入れがあるとか、そういうわけでもないのですが、なんとも切ないニュースだなあと。
三浦棋士の場合はまだ「かなり黒に近いグレー」という暗いらしいのですが、人生を将棋に捧げてきた人間の感情というものを考えたときに、半ばヤケになって、そういう道から外れた手段を取ってしまう人が出るということは、さして不思議ではない気がします。
だいたいプロ棋士になるような人というのは、子供の頃から「お前は強い」、「将棋の天才だ」といわれて奨励会という組織に入り、そこで完全実力主義のリーグ戦を勝ち抜き、ときには友を蹴落とし、営々と努力と研究を重ね、たゆまず、飽かず、勝って奢らず、負けて腐らず、真摯に将棋盤と向き合ってきた…というのが一般的だと思います。
何もトッププロでなくても、普通のプロは、普通に将棋の天才です。
ましてトッププロならなおさら、将棋の実力への自負、自信というのは、並々ならぬものがあるでしょう。
ところがそんな人が、勝てない。
機械に勝てない。
スーパーコンピュータが何台も接続されたような特別なマシンならともかく、スマホの将棋ゲームに勝てない。
何度やっても、負ける…。
そんなことになってしまったとしたら、ああ、もう。
正気を保てない。
なんだ、人間が人間の身であるかぎり、コンピューターには勝てないのか。なんだ、俺のやってきたことはなんだったんだ、求めた強さはなんだったんだ、手に入れたと思った強さとは、自信とは、自負とは。
すべて勘違いだったのではないか…。
将棋というゲームが、コンピューターの弾き出す最善手にどれだけ近い答えを出すかということなのならば、何も人間の悪い頭で考えることはない。聞けばいい。スマートフォンに聞いちゃえばいいじゃない…。
三浦九段がそういうふうに考えたかどうかは本人でない限り知るよしもありませんが、そう考えてしまう人が出てきてしまったとしても、むべなるかな、というか、人間心理として、理解できないことではない気がします。
なんでも今後は対局前に金属探知機を当てて、スマートフォンの不所持を確かめてから対局するという案もあるそうです。
なんだかさあ。
生々しすぎるというかさあ。
なんだろうね。
それこそ棋士の自負を馬鹿にしているというか蔑ろにしているというか。
でもそれでも、そうせざるをえない現実というのが、なんともやるせない。
だから機械なんてものはぶっ壊すんだ…!という冒頭のラッダイト運動にも繋がってくるのですが、ご存知の通り、それは、時代の流れには抗うことはできず、収束します。
AIもそのようになるのでしょうか。
AIは本当に人類を幸せにするのだろうか。
新しい技術というのは…