明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

盗塁をした。遠くにサンシャインが立っていた

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東京は今年初の「初夏日」だったという。夏日、真夏日というのは知っていたけど、初夏日なんていうものがあったのか。

歯が抜けた老人みたいに花の散ってしまった桜の木を見ながら歩いているとたしかに汗ばむくらいの暑さで、高く晴れた空は青くて、じんわりと春が全身を侵していき、全身がじーんとしびれるように心地よかった。

春というのは快感で人を満たす。なかば、攻撃的に。
ただ外にいてやわらかな日差しを浴びるだけで北朝鮮のミサイルもシリアの爆撃も、ゆうべ僕に肘鉄を食らわせたあの女の子のことも忘れて脳裏から消え去るるくらい、ラジカルに気持ちよくしてくれる。

そんな天気の中で僕は野球をした。
池袋の一番高いビルがセンター方向に見えていた。
「サンシャインまで飛ばせよ」
きっとこの球場で野球をやる人たちは、みんなこの冗談を言うに違いない。
(じっさい、あの几帳面に四角いビルを目印にすると、バッティングの基本であるところの〈センター返し〉になるので、そのアドバイスはあながち間違ってはいないのだった)

僕はスタメンに名を連ねられなかったことに内心腹を立てながら、チームメイトを応援したり野次ったりした。
4回の途中から代打出場をしたけど、結果はフォアボールとデッドボール。
ボールは僕のバットから巧みに逃げて、ピッチャーは巧みに僕のお尻にボールをぶつけた。

2出塁は悪くない。
成績を振り返ればそんな見方もできるだろう。
でも、遠く雑司が谷の球場まで来て、ただ「歩かされる」、それって少し、嫌だ。
学校まで行ったのに、仮病を使って保健室で眠ってそのまま帰るみたいに退屈なことだ。

エイヤ。
塁上で何度か牽制を受けたあと、思い切ってスチールを仕掛けた。
盗塁っていうのは思ったよりもスリリングで、ギャンブル性がある。
ピッチャーから目を離して次の塁を見据えてただ走る、キャッチャーが捕球して、素早く折り返して送球するのを、気配で感じる。地面を蹴る。見つめるベースがグングン近づいてくる。敵の野手が捕球体勢に入っている。あっ、マズイ。アウトになっちゃう。僕は下手くそなスライディングをする(上手な人に「走りながら、ただ後ろに倒れればいいんだよ。そうすれば滑るから」と聞いたから僕はその通りにしているけど、自分の感覚では、滑るというより、服従する犬のようにバターンと仰向けになっている)。それでも草野球なら、送球が少し逸れれば、セーフになるくらい、僕は足が速いのだ(それは、ふつう速くないと言う)。
類に到達した後、自分ではアウトかセーフかわからない。審判のお爺さんが怒鳴り声を上げる。
「セエフッ!」
ほっとする。胸のドキドキが遅れてやってるくる。アウトにならずに済んだ。

矢のような送球(僕には見えていないけどきっとそうだろう)を、忍者のようにかいくぐり(僕には自分の姿が見えていないけど、これくらいの美辞麗句を使ってもいいだろう)、ヤクルトスワローズ山田哲人のように軽やかに盗塁を決めた(やっぱり言いすぎかな)。

歩かされた鬱憤を地面に叩きつけて、少し気が晴れた(代わりに息が切れた)。
盗んだぞ。盗んでやった。僕は僕の力で、この塁を陥れたのだ。
うるせえバカ、とっとと深呼吸しろ。肺がそんな風に僕を責める。酸素が足りない。酸素の欠乏感と心の満足感が同居する。
この日僕は2出塁2盗塁2得点。
トリプル2。
山田哲人には程遠いし、僕の実態と野球を知っている人には鼻で笑われてバカにされると思う。
それでもこの日、我がチームは11対7で勝利したし、そのうち2得点は、僕のホームインの結果であることに間違いはないのだ。

春の日に雑司が谷まで行って、ベースを2周してきたことが、この週末の思い出です。