明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

夏バテというけれど

イメージ 1

僕は季節に関係なくバテている気がする。
写真は夏バテに負けまいとしてバーミヤンに飛び込んで食べた油淋鶏定食と生ビール。

子どもの頃は(最近はいつも理由なくこう考えて、理由なく落ち込んでしまう気がする)、そう、子どもの頃は夏バテなんて知らなかったし、しなかったし、わからなかった。

バテるということはわかる。例えば体育でマラソンなんかやらされた日は、もともと運動が得意じゃない僕は、徹底的にバテた。息は上がり、足は重くなり、肺は破裂しそうに痛みを訴えた。高校生のころだって、部活で乱取りなんかやると、相手を投げようとしてがんばったり、なげられまいとして踏ん張ったりしていると、息つく間もなく(これは比喩ではない)全身に力を込めて動かなければならないので、陸の上なのに、まるで溺れるみたいに苦しくて、バテバテに、バテた。
あの練習のあとに、6キロも7キロもある道を、重い荷物を背負ってママチャリを漕いで、山のふもとまで帰らなければならない日々は、けっこう過酷であった。

だから、とくに激しい運動もしていないのに、バテるという意味が、若い頃は……クッ、若い頃は、わからなかったのだ。

でも、昨日、あまりの暑さに冷房をつけて、よせばいいのにそのままぐっすり寝てしまった。するとどうだろう。わけのわからないカラダの倦怠感、重たさ、いいようのないだるさが襲ってきたのだった。

あっ、これが夏バテかあ……。

しみじみと感じた31歳の夏であった。
この夏がキツイと僕が言ったから、7月10日は夏バテ記念日。

てなもんである。