明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

たこ焼きについて考えてみる

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このあいだ、大阪に出張する用事があった。私用で遊びに行くのと、仕事で遠くに投げ飛ばされることは、どうしてあんなにも気分が違うんだろうと、不思議になる。
朝早くから新幹線に乗り込むのは、もし間違って乗り遅れたら、すべてが台無しになって死ぬような気がするし、ふだん慣れない時間に起こされるカラダの方も不満を訴えるのか、腹が痛くなって、朝から下痢をする。
そんなとき、ええい胃腸め、俺だって起きたくてこんな早くに起きているわけじゃないんだ、と、毒づく。
いや、どちらかというと、今すぐ引き返してお部屋のふとんで眠りたいのはやまやまだけど、そうもいかないんだよな、わかってくれよな、お前だって俺なんだからわかるだろ…と、教え諭して、なんとか納得してもらうように、説得している。
しかしだいたい説得は無視されて、発射時間の迫る中、焦る心で、人がたくさんの東京駅の朝のトイレに閉じ込められることになる。

話がそれたけど、本題はたこ焼きのことだ。
「東京にはほんとうの空がない」、と、高村千恵子は嘆いたけど、同じように、東京には本当のたこ焼きがないと嘆きたい。
有名なチェーン店がひとつあるけど、あれはたこ焼きというより揚げたこ焼きの作り方で、外側が過剰にパリパリしてしまうし、あれはあれで好きなのだけど、やはり高すぎる。高価過ぎる。
俺が求めているたこ焼きというのは、もう少し安くないとダメだ。
さりとて、安すぎてもありがたみがない。安すぎず、高すぎず、とにかくそういう、たこ焼きらしい値段というのがあるはずだ。
それでいて、まず食感は「ほちゃっ」としている。パリパリ、カリカリにされることなく、どちらかというと、本体は軟体生物のようにだらしなく、やや物憂げに皿に横たわって、個体それぞれが連結しているように見える。
その上にたっぷりのソースとカツオ節がかけられ、青ノリが彩りを添えている。
個人的にはマヨネーズがかかっている方が好きだが、昔はたこ焼きにマヨネーズはかかっていなかったし、どちらかというと「邪道」として見られていたように記憶している(1990年代ごろの記憶だから、20年くらい前だ)。
だからマヨネーズはかかっていてもいいんだけど、お店の人が「マヨネーズ、かけてもいいですか?」と、少し控えめな態度で確認をしてくれる…というところが、いちばん好ましい。
そうして整えられたたこ焼き一皿には、甘く酸っぱいソースの香りが湯気に絡められるようにしてもくもくと立ち上がり、ツヤツヤしたソースを身にたっぷりと受けた「ほちゃほちゃ」のたこ焼きの上にはカツオ節が誇らしげに見をくねらせており、一番上にデコレーションケーキのように美しく惜しげなくマヨネーズが振りかけられている。
皿の際には紅しょうががチョッピリ乗っていると嬉しい。

そういうのが俺の思う「ほんとうのたこ焼き」だ。
もちろんこれは理想像だから、本当にこれと同じものは食べられない。
それでも大阪にはかなり近いたこ焼きがあるので、出張に行くたびに何処かの店のたこ焼きを食べるようにしたいと、浅ましく思っている。