明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

方言の効用

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実家に帰っている。
電車の中で使われることばは由緒正しい富山弁。
東京の言葉に慣れた身には、久しぶりのこの方言が、身にしみて懐かしくて、ちょっとしたことを考える。
方言というのが本当の日本語だな。

あんたぁ、どやったけぇ、元気しとったが…。

抑揚があって、感情があって、歌うようにしゃべられる言葉。
単語と単語がつながっていて、かな書きの書の連綿を思わせる。
音符と音符を弧でつなぐ「スラー」というのが、単語間にかかっている感じだ。

英会話もネイティブであればあるほど単語間はなめらかに接続されて、一言一言は音楽になる。
黒人の怒りの文句がそのままヒップホップになるように、感情のこもったことばは本来音楽に近づく。

日本語から…正確には標準語なるものから、ことばの音楽性は失われてしまった。
それは明治時代意思の疎通を図るために生み出されたものだし、大正昭和時代にラジオ放送を通じて国民に普及していったものだ。
それは「感情」を伝えるものではなく「情報」を伝えるツールで、新聞の文章みたいなものだったろう。
新聞のニュース原稿に感情や音楽性や詩的なものは不要なので、必然、そういうものは標準語から除外されていった。

標準語に喪われたものが方言にはある。
それは東京のことばなら江戸弁に遺されている。
標準語なる人工言語金科玉条にしてはならない。
もっと
大切にすべきものは目に見えないのだ