足が前に進まない
東京は川の街であるな、と、東京に住んでいると思う。とくに自転車に乗っているときに思う。練馬区や西側に住んでいたときはそんなに思わなかったけど、いまは東京イーストエンドとも言うべき東端に住んでいて、ことあるごとに川に、つまり橋にぶつかる。
自転車に乗っているとこの橋というのがやややっかいだ。やややっ、と、叫ぶほどである。
なぜなら橋を渡るにはまず堤防部分への登りを登攀し、さらに中心部を頂点としてアールが作られているからだ。登るのはしんどい。ぜえぜえ。
自転車を漕ぎ息を切らして草野球の練習に行ったのだけど、ベーランをやるという。ベーランとはベースランニングのことで、ベースを一周グルッと全力疾走することだ。野球のダイヤモンドは一周約110m、四角いダイヤモンドを走るときの膨らみも勘案すると約120mほどあるらしい。
120m、全力疾走。
齢30を超えた男には辛い言葉ではないか。ふだん椅子に座り布団に寝るだけを常とする者には過酷なのでないか。
僕はびんぼで走れませんよ、なぜっていえば、アシがない。
思わず都々逸を歌ってしまうほどではないか。
それはともかくとしてベースランニングである。パン、と手を鳴らされて走り出す。野球場のグラウンドを全力で駆けるときの気持ちよさと胸の鼓動は格別なものがある。ヒットを打ったときの高揚、内野ゴロの失望と一縷の希望に向かって走る緊迫。試合を思い出すわけでもないのに心臓が早く打つ。なぜか。(答えは普段運動していないのに全力疾走しているからですね)。
地面を蹴る、身体は前に進む…進むはずなのだが。思ったより、進まない。気持ちのうえではもうひとり分くらい体が前に出ているはずなのに、イメージより1馬身遅れて身体がある。悪夢を見ているときのように足が空回りするみたいだ。違和感とスピード感(遅いのだからスピード感という言葉より、ディレイ感度でも言いたい)。思わず転びそうになる。
なんとか一周したものの、膝に手をついて荒い呼吸をくりかえす。チームメイトに
「足が前に行かないよ、魔法にかけられたみたいだ。ボミオスとか、スロウとか…」
と言うと、
「俺もだよ、夢の中で走っているみたいだ」
と答えた。しかし我々が見ているのは悪夢でもなんでもなく、30代男性の現実というものであった。「これくらいは早く走れるはずだ…」というイメージがむしろ幻想であって白昼夢なのだ。むべなるかな。
本格的な草野球シーズンが始まる前にすこし公園でもグルグルと走ろうかな…。
自転車に乗っているとこの橋というのがやややっかいだ。やややっ、と、叫ぶほどである。
なぜなら橋を渡るにはまず堤防部分への登りを登攀し、さらに中心部を頂点としてアールが作られているからだ。登るのはしんどい。ぜえぜえ。
自転車を漕ぎ息を切らして草野球の練習に行ったのだけど、ベーランをやるという。ベーランとはベースランニングのことで、ベースを一周グルッと全力疾走することだ。野球のダイヤモンドは一周約110m、四角いダイヤモンドを走るときの膨らみも勘案すると約120mほどあるらしい。
120m、全力疾走。
齢30を超えた男には辛い言葉ではないか。ふだん椅子に座り布団に寝るだけを常とする者には過酷なのでないか。
僕はびんぼで走れませんよ、なぜっていえば、アシがない。
思わず都々逸を歌ってしまうほどではないか。
それはともかくとしてベースランニングである。パン、と手を鳴らされて走り出す。野球場のグラウンドを全力で駆けるときの気持ちよさと胸の鼓動は格別なものがある。ヒットを打ったときの高揚、内野ゴロの失望と一縷の希望に向かって走る緊迫。試合を思い出すわけでもないのに心臓が早く打つ。なぜか。(答えは普段運動していないのに全力疾走しているからですね)。
地面を蹴る、身体は前に進む…進むはずなのだが。思ったより、進まない。気持ちのうえではもうひとり分くらい体が前に出ているはずなのに、イメージより1馬身遅れて身体がある。悪夢を見ているときのように足が空回りするみたいだ。違和感とスピード感(遅いのだからスピード感という言葉より、ディレイ感度でも言いたい)。思わず転びそうになる。
なんとか一周したものの、膝に手をついて荒い呼吸をくりかえす。チームメイトに
「足が前に行かないよ、魔法にかけられたみたいだ。ボミオスとか、スロウとか…」
と言うと、
「俺もだよ、夢の中で走っているみたいだ」
と答えた。しかし我々が見ているのは悪夢でもなんでもなく、30代男性の現実というものであった。「これくらいは早く走れるはずだ…」というイメージがむしろ幻想であって白昼夢なのだ。むべなるかな。
本格的な草野球シーズンが始まる前にすこし公園でもグルグルと走ろうかな…。