明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

ドナルド・キーンさん死去

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写真は産経ニュースのもの(https://www.sankei.com/smp/life/news/190224/lif1902240045-s1.html

日本文学研究家のドナルド・キーンさんが亡くなられて、少し思い出があるので、思い出した思い出を覚えているうちに書いておこうと思った。

ドナルド・キーンさんは、僕の学生時代、母校に講演に来たことがある。

文学部の不良学生(ヤンキーという意味ではなくて単に「良くない学生」という意味)だった僕でも、読売新聞に連載していたコラム『私と20世紀のクロニクル』はおもしろくて好きだったので、名前は知っていた。

講演の内容も、自身の生い立ちや「なぜ日本文学を研究するようになったか」、「日本文学のどこがすばらしいか」といった内容のことを話されていたと思う。いまとなっては詳しいことどころか概略すらも覚えておらず、『私と20世紀のクロニクル』に書いてあったことを講演の内容だと勘違いしていたり、その逆もあると思う。

とにかく、「(三島や川端や、更に遡って明治文豪にも触れたかもしれない)日本の文学はここがよい」という内容の講演が終わった後に、質問コーナーがあったので、こういうときに「なにか聞かないと損だな」と思ってしまう激しい知的好奇心の持ち主である僕は、
「僕も本は好きで、夏目漱石や古い、いわゆる《文学作品》と言われるものは、それが当時の世情や人間の考え方を記録していて、歴史的価値を持つという意味でもおもしろいと思うのですが、ひるがえって現代の小説、とくに《現代文学》と呼ばれるもののおもしろさがわからないのですが、これわかるようになりますかね?」
ということを、もうすこし慇懃に、かつおそらく何を言っているのかまとまっていないような聞き方で尋ねたはずだ。

するとキーンさんは、あの独特の日本語で、(そう日本語で答えたのだ!)

「アア、それは、もっと勉強してください」

と答えた。

僕は「なぜ僕が勉強していないのがわかったのだろう」と図星をつかれただけに腹を立てたが、氏の真意は単に僕の不学を責めるのではなく。

「文学作品というのは、作品それ単体で成り立っているのではなく、社会全体、ときに世界の中で成立しています。ですから、社会のことを学ばなければ、その作品に何が表現されているのかわかるはずもありません。いいですか、文学とは社会の問題、有り様、人間そういったものをとらえて作者の目を通して描き出しているのです。だから、現代の社会を学ぶことで、現代文学も理解できるはずです」

というようなことを仰った。

あれから10年以上経って、いまから思えば、ああ、なるほどなあ、と思えるけれど、何しろただでさえ社会を知らぬ学生の、ただでさえ単位ギリギリと出席数を計算してのんべんだらりと暮らしていた不良学生(良くない学生という意味)だから、そのときはその真意が伝わろうはずもなかった。

それでもいまはすこしわかる。

だから僕は馬鹿な学生の馬鹿な質問に丁寧に答えてくれたドナルド・キーンさんに感謝の気持ちがあるし、亡くなられたことに静かに冥福を祈っている。



ちなみに『私と20世紀のクロニクル』には、

「第二次大戦中、日本語ができる私は米軍に参加して戦地に赴いていたが、日本軍基地を攻め立てた後、ある小屋にかかっていた看板の日本語を読むと、果たして《ペスト研究所》と書いてあった。すわ感染したら一大事、と後方送りになったが、戦後わかったことには、それは撤退を強いられた日本軍のトラップというか、ちょっとしたイタズラ心でそう書いてみただけで、決してそこにペスト研究所なるものがあったわけではなかった…」

っていうおもしろエピソードなどがたくさん書いてあるのでオススメですよ。