明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

きつい

京アニの放火事件。

凄惨な、痛ましい、許せない、悲しい、ひどい事件が起こってしまった。
ただ報道を見ているだけなのに辛い。

30名を超える人が亡くなった。
狂人により殺されてしまった。

何をしたというんだ、彼らが。
ただ黙って絵を描いてアニメを作っていただけじゃないか…。

なぜそんな、人生の結末を、迎えなければならないのか。
理由はないのである。
ただ、(こういう表現はどうかと思うけどこう表現するしかないという気持ちでいまいる)、狂っている人の、狂った行動に、巻き込まれてしまった。

正気の沙汰ではない。
すばらしい能力を才能を持った人々が、ああああの手によってこの世から消えてしまった。
とてもやりきれない。

僕はコンテンツを作る人を尊敬している。
とくに、フィクションを作る人を尊敬しているし、どこかに仲間意識のようなものもある。
語弊があるかもしれないが、「世の中の役に立たないもの」を作ることに人生をかけている人。
「なくても困らないもの」に青春を捧げた若者。
それでも「あると喜ぶ人がいるもの」を作ることに情熱をたぎらせていた人。
没頭する人、邁進する人、一途に。

そういう人を僕は好きだ。

そういう人たちが、悪意だか、なにだかすらわからない凶悪なものに、一度に、根こそぎ刈り取られてしまった。

彼らが何をしたと言うんだ。
何を。
ただ彼らは彼らの人生を生きていただけなのに、世の中になくてもいい、大切なものを作っていた人たちなのに。

昨日はとても落ち込んだ気持ちで一日を過ごしていた。
ため息をつき、仕事をして、ため息をついた。
辛い気持ちでも、仕事をしなければならないし、するべきだと、強く念じて仕事をしていた。
でもやっぱり、たびたび手は止まって、ぼんやりとしてしまった。

なぜ、どうして、どうしたら、何をしていたら…。
アドベンチャーゲームの選択肢みたいに何かをどうかすればもっと被害はなくこんな事件は起きなかったんじゃないかというようなことを考えてしまう。
なぜ犯人はこんなにも凶悪な、馬鹿げた、大それたことをしでかしてしまったのかと考えたくもない犯人の思考を想像してしまう。
あらゆる問いが浮かんでは、それは考えても仕方のないことだと思い直し、それでも思わずにはいられない。
ひたすら堂々巡りを続けていた。

それでもなんとか仕事をしていたのは、この日常を自分から手離してしまったら本当に負けだと思っていたからではないか。
気が狂った犯人に俺の生活まで毀損されてたまるかと、心の奥底で感じていたからにほかならない。
こんな、馬鹿げた馬鹿の起こした事件で社会は揺らぐし世情も不安になるのだけど、俺は俺の仕事を確かに、固くやるのだと、目の前のことに集中(しようと)していた。
そうするしかない。