明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

ヤクルトスワローズドリームゲームが幸せすぎた

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7月11日に、ヤクルトがプロ球団を持って50周年になることを記念したOB戦が行われた。
気がつけば、僕はかれこれ、20年以上ヤクルトファンをやっている。

ファンになるのに特になにかきっかけがあったわけではないけど、小学生の頃、ヤクルトスワローズは野村監督を戴いて黄金時代を築いていた。
小学生は強いものが好きだ。
だからヤクルトファンになった理由は「チームが強かったから」ということになる。
(それに、他のチームが新聞社とか電鉄会社とか、小学生にはあまりなじみのない親会社だったのにたいして、ヤクルトは、あの小さくて甘い健康飲料、ヤクルトのチームであるというところも、チャーミングで好きだ)

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90年代のヤクルトは、正に「黄金時代」という表現がぴったり来るくらいに強かったし、才能という意味の、タレントがそろっていた。
古田、池山、飯田、真中、土橋、宮本慎也、岡林、石井一、伊藤智、高津……。
(タレント、という意味でのタレントも揃っていたような気もする)

他にも、ホージーやペタジーニといった助っ人外国人も大活躍していた。
中でも記憶に残っているのは、ハウエルだ。
スポーツニュースではその試合の印象的なシーンだけ放送するので当たり前なのだけど、テレビに写るハウエルはいつもタイムリーヒットサヨナラホームランを打っていた。

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この試合では、とにかく、そんな往年の名選手達が勢揃いししていた。
スターティングメンバーが発表される。
懐かしい名前の数々に、それだけで胸が熱くなって涙がこぼれてくる。
これは、なんの涙なのだろう…。

感動で胸がいっぱいになって、酒が進む。
進みすぎた。
どうも僕はモノゴトに感動すると、それだけでお酒を飲み過ぎてしまうきらいがある。
2015年の優勝決定試合でも、飲み過ぎて大変なことになったのだった。

神宮球場には思い出が詰まっている。
東京という街の中で、例外的に「好きだ」と言えるたぐいまれなる場所だ。

大学生時代もここへきてヤクルトを応援した。
卒業してからも、ライトスタンドから声を張り上げた。
勝つときも負ける日も、喉をからして、叫び声を選手にぶつけるように応援歌をがなりたてている。

そんな思い出の選手も出場している。
ガイエル、イムチャンヨン、松岡健一、福地…。
2008年ごろ第一線で活躍していた選手がグラウンドに現れて、応援歌を歌うたびに、学生時代にタイムスリップしたかのような気持ちがした。

ああ、10年前の自分も、ここにいてこの歌であの選手を応援していた…。

その感覚がひょっとしたら涙の正体かもしれない。
古田の引退試合も見た、宮本の引退試合も見た。
けれど、ふたりとも、いま、グラウンドに立ってプレーしている。
古田の打球を宮本がさばいて、ダブルプレーを成立させた。
僕は拍手している。
一度死んだ人間が生き返ったかのようにあり得ないものを見た気持ちで手をたたく。

どちらのチームが点を取っても傘を振るのでいそがしい。
楽しさとうれしさが何度も波のように押し寄せてくる。

これは、夢なのではないか…。

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雨の平日に神宮球場に三万人弱も観客が詰めかけるとは、夢である可能性が高い。
中でも夢ではないかと目を疑うシーンがあった。
試合開始時から、古田達に支えられてようやくあるいていたような野村監督が、打席に立った。
84歳の老人が、支えられながら打席に立つ。
その人はただの老人ではなくて、栄光も挫折もその四角い白線の中で味わった、バッターボックスの中で青春を生きてきた、球史に残る大打者なのだ。

野村、野村!

一球めが投じられ、大きく外れたあと、僕は叫んでいた。
野村監督でもなく、ノムさん、でもなく。
彼が現役時代にきっとそう声をかけられていただろう呼び方で、声援した。

野村、打てよ、野村、お前が決めろよ、野村、お前の、精一杯の、プレーをしろよ…。

ファンがプロ野球選手の名前を呼ぶとき、そこにはたくさんの想いが込められている。
多くの言葉は必要なくて、きっと選手も、呼ばれるその名前に、自分の名前に、多くの祈りが込められていることを、感じている。

コントロールのよさが身上だった中継ぎピッチャー松岡健一が投じた2球目を、野村監督はスイングした。もちろん、振るのがやっとというような、空振りだ。
その空振りに球場がどよめく。
体を支えていた古田や、周囲にいた人も、驚いている。

なにしろ、歩くのがやっとで、直前にも「打席には立ってもバットが持てるかどうか」と言っていたのだという。

まさか僕の声のお陰でとは言わないが、それでもあの老いた体に、老骨にバットを振らせたのは、球場全体の期待感とファンの暖かなまなざしであるだろうし、何より当人の、野球に生きた人の、「生涯一捕手」を座右とした人の、気概であり、経験であり、積み重なったものが、人生が、野村克也の人生が振らせたひと振りだった。

きっと現役時代を思い出したのだと思うし、体がその光景を覚えていたはずだ。
目がくらむほど眩しいカクテルライトに照らされて、ピッチャーと対峙をして、投げられる白球。
考えたというより、元気を出したというよりも、体が反応したはずだ。
それくらい骨身に染みているはずだ、野球というものが、野村克也という人には…。

そんなことを考えて、泣いて、また杯が進んで、僕は帰りの電車で降りる駅を思い切り乗り過ごした。
楽しい夢のような夜だった。