明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

『坑夫』(夏目漱石/新潮文庫)

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を読みました。
久しぶりのソーセッキ。

なんだか実際の体験談を聞き書きしたものを小説風にまとめた小説ということです。
青空文庫でも読めますよん。

<坑夫 - 青空文庫>

以後、引用はすべて上の青空文庫から。



☆あらすじ

家出した
ポン引きに「坑夫にならんか。儲かるぞ」と言われたので鉱山にいってみた
いってみたらこりゃひでえところだ。
しばらく居て帰るわ…

おわり。


☆感想

作品の結びに

「――自分が坑夫についての経験はこれだけである。そうしてみんな事実である。
 その証拠には小説になっていないんでも分る。」

とあるように、
小説のように筋らしい筋があるというものでもない、かといってノンフィクションでもない、
漱石作品の中でも特殊な地位を占める(そしてあまり評価の高くない)作品のようです。

でも(だからこそ?)余計なことをあまり考えずに
漱石特有の軽妙な語り口を楽しむことができました。

資本家の息子が思いつきで家出して転落人生を歩みそうになるんだけどもやめる。

という割とストーリー的盛り上がりは無いような小説ですが
主人公が社会の底辺のていへんな仕事を見た「実録! 突撃・底辺社会」といった読み物としての趣があり
明治の社会風俗の一側面を鋭くのぞき見できるという点で面白いです。

巻末の「解説」によれば
結局この作品に詳細に描かれなかった、主人公の出奔した理由(男女の三角関係)が
虞美人草』やら『三四郎』やらに生かされることとなる、ということらしいです。

でもひたすらぐだぐだウジウジと人間関係に悩む印象のあるそれらの作品よりも
「坑夫になろうとした! やばいキツイ! 無理!」というこの作品の方がさっぱりとした内容で
主人公に共感できたりわかりやすかったりして個人的に好きです。

主人公の、
松本零士男おいどん』の大山昇太のような一本気でありながらすぐ気が変わって妥協するところに
人間的おかしみがあるとおもいます。

時期的には『蟹工船』より20年ほど早いのですが
プロレタリア(労働者)文学の走りのような内容でもあるんですよね。

「社会が安さんを殺したのか、安さんが社会に対して済まない事をしたのか――
あんな男らしい、すっきりした人が、そうむやみに乱暴を働く訳がないから、ことによると、
安さんが悪いんでなくって、社会が悪いのかも知れない。

自分は若年であったから、社会とはどんなものか、その当時明瞭に分らなかったが、
何しろ、安さんを追い出すような社会だからなもんじゃなかろうと考えた。
安さんを贔屓にするせいか、どうも安さんが逃げなければならない罪を犯したとは思われない。
社会の方で安さんを殺したとしてしまわなければ気が済まない。
その癖今云う通り社会とは何者だか要領を得ない。ただ人間だと思っていた。
その人間がなぜ安さんのような好い人を殺したのかなおさら分らなかった。」

山の深い穴のなかで偶然にも高等教育を受けたのに坑夫に“堕落”した「安さん」と出会い
主人公が感じた社会の歪さなんてーのは、
やっぱり労働者の(この場合、底辺労働者の安さんに主人公が成り代わっての)叫びだったと思います。

“『蟹工船』ブーム”というのがあって何年か経ちますが
この『坑夫』は漱石の書いたプロレタリア文学でありました。

若者の就職率の低下やら企業のブラック化やらが叫ばれる今、漱石作品を読むならコレ! かもしれません。


以上、ぐだぐだですがおわり。