明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

砺波市の蕎麦屋「福助」

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日曜にそば屋へ行ってきました。
砺波市のそば屋「福助」。
最近できたお店のようです。

<富山ウエスト>
<食べログ>

黒部に建っていた古民家を移築&改装したという大きな店舗は
となみ野の風景にも自然になじんでいます。

場所がちょっとわかりづらかったですけどね。

イメージ 2

頼んだのはかけそば(850円)。
かけそばなのに高いですね。

そばの上には水菜が乗っています。
薬味の小口ネギが別の小皿に乗ってきているのは
ほのかなそばの風味を損なわないための工夫かと思われます。

あのー美食倶楽部でも良三くんが海原雄山に激怒されていましたからね、
何も考えずにわさびを薬味につけてしまって。
人に向かって薬味皿をぶん投げておいて

雄山「貴様の頭の上に乗っているものはなんだあ!!(ワサビ)」

ですからね。
めっちゃ理不尽。


お味の方なんですが。

あの、美味しかった、と、思います。

「思います」というのは
実は先週くらいから初めて花粉症なるものになってしまっていて
鼻が詰まってしまっていて香りとか全然わかんないんですよね。

だから薬味皿を別にするお店の気遣いというのも全然意味がなくて。
元々香りがわからんかったのです。

うーむ…。

そば粉の産地や挽き方にまでこだわって作られている一品への冒涜ですね花粉症でそばを食うというのは。
また花粉症が治ったら行きたいと思います。

あとそもそも「美味いそば」っていうのが
「この蕎麦はうまい!」とか「この蕎麦はダメだ!」とか断言できるほど
自分の中に確固たるソバジャッジメント基準が無いですからね。
どちらかと言えばうどんスキーなので。

うどんやラーメンなら自分の好みも踏まえて「コシが弱い」とか「のど越しが悪い」とか言えそうなんですが。
そばってあんまりこう、偉そうに言えるほどしっかり食べ比べたことがないというか…。
まあうどんやラーメンだったら偉そうに言えるのかコラと問われれば、たしかに疑問は残りますが。笑。

あと天ぷらが美味しそうだった。
まあ天ぷら盛りだけで1,000円しますが。
他の店なら満腹になる天ぷら定食が食べられるお値段。
東京ならともかく富山でこの価格設定は…攻めてますねえ~。

お店の雰囲気とかはとてもよかったです。
豆茶も美味しかった。
あとそば湯がめっちゃ濃厚でうまかった。むしろそば湯が本番。

富山県西部で「“本格的な手打ち蕎麦”が食べたい!」という欲求を満たすにはいいお店だと思います。
富山市の方までいけばいろいろあると思いますが
砺波あたりにこういうお店ってなかったもんね。

個人的には、家からそう遠くないので
ここくらいなら「そば屋で日本酒」というのが楽しめそうなのが
よいです。


<手打ち石臼挽き蕎麦 福助

富山県砺波市林947-1
TEL/FAX.0763-33-2770
[昼] 11:30~14:30 [夜] 17:30~20:00 ※蕎麦売り切れ次第終了
月曜定休(祝日は営業、翌日休み)
P14台



あとは蛇足になりますが。

タイトル「だけど蕎麦ってそもそもそんなウマイマズイ言って食べるようなものなのか?」 ということをね。
書いておきます。

そばっていう食べ物は特にうどんと比べると
グルメというか、こだわりというか、なんというか「そば通気取り」みたいな感じが多くあって
それがちょっと鼻につくというか
な~にを気取ってやがんでえべらぼうめ
そばなんてぇのは元々が江戸時代のファストフードじゃねえかべらんめえ
冗談じゃねえよこんちくしょう、と、
やおら江戸弁になってしまうようなことを言いたくなりますね。

なんなんでしょうねあの「スノッブ感」というか。
グダグダ言ってんじゃねえ黙って食えよぅ。ってね、言いたくなるようなね。
確かに東京の方には「江戸時代から何百年続く名店!」みたいなのもあるんですが
別にファストフードが何年続いたってさあ
例えばマクドナルドがこれから100年続こうが200年続こうがそれはマクドナルドなわけでさあ
本質的に何か変わるの。だからどうなの。

ただまあ蕎麦がそういう風潮になるのは別に最近の話ではなくて
むしろそれこそ江戸の頃から
「江戸っ子はツユにダクダクつけるような真似はしねえんだ、チョンとつけて食うのが粋なんだ」とか
気取った食べ方が流布されたり
格好をつけたいだけの「粋バカ」の餌食になってきた食べ物だという事情はあります。

それにしたって一番安い一杯の「かけそば」で850円も取るのは
庶民の食べ物とはもう言えませんね。

元々屋台で食べるような簡便で庶民的な食べ物だったはずが
いつの間にか本格志向になり高級志向になって
「蕎麦の名店」とか「本物の蕎麦」とかそういうことを言い出しますのはね。

美味のいただきの高みを追い求めることが悪いとは言わないけれど
蕎麦の足元はどうなってるのよ
そもそもの蕎麦の立ち位置っていうか
蕎麦の立脚点ってそこだったっけ? という疑問がわくというかね。
そーんな、なんか美味の追求とか美食の追求が存在意義になる食べ物なんだったっけ? というね。

腕を組んで客を睨みつけるような写真を撮るラーメン屋店主みたいなことでね
そりゃよぉお前よぉちょっと違うんじゃねえの、って言いたくなる気持ち。

そういった意味では
駅で食べるような立ち食いそばの方が
日本のファストフードとしての系譜に連なる「正しい蕎麦」といえるのではないか。

あとあの、このお店のもそうだったんですが
美味しいんですよ。
そりゃ全然美味しいんです。
駅の立ち食いそばや「富士そば」とかよりも全然美味しいというのは当然わかるんですが。

あくまで延長線上の美味しさなんですよね。
「安いソバでこういう感じだから、素材を良くして価格を上げて丁寧に作ればこういう感じになるんだろうな」
と想像したら、まあそのとおりの味ですよ、という美味しさ。

次元の違う味」とか「予想を超えたうまさ」とかいうのではない
同一平面上の美味しさなんですよね。
あーわかるわかる、こうだよね。
ってかんじ。

マックの高級メニューみたいな感じですよだから。
「あっ、高くなるとこうなるんだ! ぜんぜん違うんだ! これが本当の蕎麦の味なんだ!」
という驚きは特に感じたことがないですね。

いわゆる「本格的な蕎麦」が90点、95点の美味しさだったとしてもそれは想像の範疇で
120点の驚きがないんですよね。

想像以上の美味しさに出会って不意を突かれた時の驚きを持った感想
「えっ何これ… 美味すぎる……(無意識に箸を取り落とす)」ってくらいにね、なってほしいんですよね。
ほんとはね。

美味しんぼ』的にはこの後
「かわいそうに。本当の蕎麦を食べたことがないんだな」
と山岡さんに言われるような意見ではございますが
実際ないんだから仕方がない。
もしくは生まれつき蕎麦の香りというものを感じるための受容体の数が少ないのかもしれない。
蕎麦を旨く感じる能力が無いという可能性がある。

120点のそばを食べた時考えは変わると思います。
想像の範疇を超えるうまさのお蕎麦があるならば、ぜひ食べてみたい。