明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

丸谷才一『無地のネクタイ』

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という本を読みました。
丸谷才一の本って初めて読んだんだけど、面白かった。

あたたかみある口調で内容は鋭くシャープ。
政治社会を切り、文学芸術を語り、洒脱。
たまにはこういう良い文章を読むと目が洗われますね。

色々と「その通りだ!」と思うところがあったり、思わないところもあったり。
その通りだ! と思ったところ(『六本木ヒルズでの感想』)を引用しておけば

>わたしは前まへから、電線が蜘蛛の巣のやうに空を怪我してゐるあの風景が嫌ひで、
>日本の建築家たちや建築評論家たちがあれについて黙ってゐるのが不思議で仕方がない。
>あんなものを張りめぐらしたなかに自分の作品を置いたり、
>自分の批評の対象を置いたりして平気でゐられるのは、
>えーと、ここはできるだけ慎重に言葉を選ぶけれど、
>かなり複雑な人たちと言はなければならない。


その後『失われた景観』(松原隆一郎PHP新書)の引用をして
ロンドン・パリ・ボンの電線地中化率は100%なのに
東京23区は3%、世田谷区は0.2%しか地中化されておらず
日本人の美意識が街の景観については全く生かされてないことを嘆く。

多少長くなるけど全部引用します。

>かういふことになつたのには、著者が言ふやうに、美よりも経済性を優先させた戦後日本人、
>あるいは近代日本人の生き方が大きいだらう。
>美なんてものはどうでもいい、花より団子といふのがつまり我々の貧しい現実主義であつたので、
>そのとき日本人は日本美の本質が生活の芸術化であり芸術の生活化であつたことも、
>それからまた、その日本美の方法が西欧にもたらされて彼らの生き方に素晴らしい刺激を
>与へたことも、きれいに忘れてゐた。

> 十九世紀に東西文化の大がかりな出会ひがあつとき、西側は美的感受性の領域で
>大きな収穫を得たのに、東側では科学技術による便利さと引き換へに、
>貴重なものを失つた。空中の電線は、その被害を具体的に教へてくれる。


「日本美の本質は生活の芸術化であり芸術の生活化だったことを忘れている」!

大正14年生まれの意地なのか、旧仮名遣いなのは閉口するけれど
それでも読みづらいということもない。

言うべきこと、言いたいことは余分な修飾なくズバッと言って
それでいて無味乾燥な説明文にならずに文章としてのおもしろみを忘れない。
だから読みやすいし面白く読み続けられる。

何年か前に井上ひさしさんの言葉で

「むずかしいことを やさしく
. やさしいことを ふかく
. ふかいことを ゆかいに
. ゆかいなことを まじめに」

というのを引用したんですが、その言葉を思い出すような文章でした。
名随筆家というのはこういう人のことを言うのだなあと思ったり。
昨年惜しまれながら87歳でお亡くなりになってしまったそうで。
なむなむ。