明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

同窓会行ってきた

イメージ 1

画像は映画『パシフィック・リム』。

この間これを見てきたので
これの感想を忘れないうちに書いておこうと思ったのですが
今日同窓会が有りまして
なんだかいろいろな感情の印象を、それを忘れないうちに書いておきたなと思ったので
映画の感想は明日にしてこれを書いておきます。

画像詐欺。笑。
というわけで以下のことは自分のために書く日記です。
や、まぁ、それは別に、いつもなのですが。

高校時代の思い出なんて思い出してみてもそれほど覚えていないなあ
基本的には『私がどう考えてもモテないのはお前らが悪い!』の
もこっちみたいな高校時代
だったしなあ。
なんて、漠然と思っていたのですが。

行ってみて、色んな人と会って
色んな話をしていると
それでもやはり思い出すもので。

いやほんとに。
自分では全然覚えていないんだけれども
確かに自分にも「若く明るい歌声に~ 雪崩は消える花も咲く~」的な時代があったのだと。
思い出しましたよ。

部活で、唯一の同学年で、一緒に柔道をやっていた奴と10年ぶりに会ってみれば

「おい、まだ柔道やっとるんか?」
「いいや、バスケしとる

お前!
お前強かったんにお前! もったいない! バーカ!
(とっくに柔道やめている自分のことは棚に上げているのである)

「柔道やめたらシックスパックだった腹筋が割れなくなってしまった…

ざまあw
お前もようやくこっち(だるーん腹)側に来たか。よしよし。
でも世間の人間は腹筋がシックスパックになってないのが普通やからね。








イメージ 2

(参考:画像検索「シックスパック 腹筋」)

10年ぶりに会って、人のことを「お前」呼ばわりして
怒らないし、怒られないのは、これは同窓会の嬉しいところですね。
普通社会に出たら人のことを「お前」って呼んじゃいけないもんね。

それでも「お前」と呼ぶし、呼ばれることが、久しぶりで、新鮮で、なんだかウキウキするような。
そんな感情を覚えます。

「今まで何しとったん」
「大学卒業して2~3年は東京におったんやけど、母親亡くなって私帰ってきたん」
「えっ…それは…ご愁傷さまでしたことで…」

とか。

「今何しとるん?」
「えー普通の会社員」
「あっそうなんや。ちなみに何?」
「新聞記者」
「あっホンマ…(全然普通の会社員とは違うような…)」

とか。

「結婚したんやってね?」
「そうそう! 来月からロンドンに行くよ」
「ファッ!?」

とか。

10年の間に
彼ら/彼女らの間に確かに、確かな人生があったのです。


その空いた10年分を数時間で埋める、逆浦島太郎というか
複数人の10年の人生を一気に再生するようなというか
早送りで2時間映画のビデオを鑑賞するというか
ちょっとクラクラしてしまうような
驚きと、喜びと、悲しみというか人生のせつなさというようなモノも含んだ感情が一度にきて
怒涛のようなそれがすこしたのしい。

振り返れば一瞬だったように思える、いや確かに一瞬だった高校時代の3年間を
一緒にいただけなのだけど
それの3倍以上の時間についても話を聞くと、その10年もまるで一緒に居たみたいな錯覚
それとは別に、本当にこの自分の歩んできたこの10年間が現実だったのだという実感
湧いてくるような。(別にこないような)。

この10年間を皆たしかに生きてきた。
どうやら俺も生きていた。

10年経っているはずなのに
顔を見れば
一瞬で自分が高校生だった頃に戻れるような。

まるで時間なんて経っていないように思える錯覚と
確かに10年という時間が皆に流れていたのだという実感の
矛盾した2つの感情を一緒に味わって
青春時代の昔を思い出してこそばゆいような。
過ぎた10年の現実を改めてつきつけられて後ろ暗いような。

なにしろそんな会ですよ同窓会という催しは。

たしかにそこにあったはずの
世間一般的にはそこにあるはずだとされて疑いも持たれない
青春とは果たしてなんだったろうか。
当時もわからなかったし、今から振り返ってみてもちっともわかる気がしねえ。

だけれども。
確かに。居たのだ。自分もそのなかに。

青春という曖昧で茫漠たる幻想概念の中に
確かに10年くらい前には自分もその中に身を浸していたのだと
「お前二次会行かずに帰る気かよ!」と
酔っ払った元柔道部部長に奥エリを取られながら
少し思いました。

良かったとも言えるし、そうでなかったとも言える。