若鶴・酒造見学4(終)
写真は「大正蔵」に飾られている…えーと、なんだこれ。
扉かな?
とにかく、改装前の大正蔵に使われていた、つまり大正時代に作られた遺物だそうです。
こちらも歴史あるきの看板。
へ~昔は「ルツカワ」って言ってたのか~(違
一斗樽がこも包みにされている様子がよくわかります。
こちらは、かつて蔵の柱として使われていた木材を
ベンチに再利用しているものだそう。
へぇ。
相当古い木材のはずですが
見た目にはキレイで特に腐ったり腐食したりしている様子は見られないですね。
やはり酒蔵という気温や湿度の一定な場所に使われていたことが大きいのでしょうか。
大正蔵に飾られていた
かつて販売していた商品の器だそうです。
焼き物のツボに日本酒を入れて打っていたのだとか。
当時2~4万円!
おそらくバブル時代に贈答品用として販売されていたのではないかと想像します。
なんか置いてあったツボと酒樽。
この後ろ側にトイレが有ります。
トイレ超きれい。
杜氏の話と…
Cloud…もとい蔵人の話を聞いた後は
おまちかねの試飲!
若鶴酒造で販売している日本酒のほとんどすべて
10種類を試飲できました。
若鶴酒造は他にウイスキーや焼酎も作っているのですが
この日は日本酒の会なので日本酒だけ。
若鶴のウイスキー一回飲んでみたいんだよねー。
しかしこれはこの
前の演台にズラッと並べて
さぁ皆さんどうぞここに集ってください! という感じでしたので
参加者の全員が一度にそこに集まる形になってしまって
自然とそこにこう、行列ができてしまいました。
そんでもって、前の方の席に座っていたので
この行列の前の方に位置どってしまったばっかりに
「やべえ早く飲まなきゃ後ろがつっかえてる!」
ワタクシの背後に20~30人が試飲を待って並んでいるという状況に。
うしろから約30人分の
「馬鹿野郎モタモタしてるんじゃねえ早く俺にも飲ませるんだよ馬鹿野郎」
というプレッシャーをひしひしと感じます。
おお…すごい圧迫感だ…。
早く飲まなきゃ(使命感)。
なにしろこんな回に来ているのはみんな日本酒好きな飲兵衛ばかりでしょうからね。
その気持ちもよくわかろうってなもんです。
酒を目の前にしてお預けを食らっているような場合
気が立ってきて人のひとりやふたり刺し殺してもおかしくないくらいですよ。
そう思って刺殺されないように焦ってガバガバ空きっ腹に酒を入れていくので
この時点で結構酔っ払いました。
ちなみに黒いラベルの「苗加屋 淋黒」(純米大吟醸)が一番高いそうで
それにつぐのが純米吟醸の「赤」と「青」だそう。
青に使われているのは富山県産の酒米「雄山錦」。
赤の方は他の酒蔵でもよく使われている「山田錦」。
精米歩合や造りはそう変わらないので似通った味になっていますが
それでも違いを感じるその部分が、酒米による味の違いということになるかと思います。
「雄山錦の方がスッキリ仕上がりますね。山田錦の方は、味の広がりがあるというか、膨らみがあるというか」
その違いをどう表現するべきか杜氏に聞いてみたところ、そのようにおっしゃっていました。
スッキリ味の青のほうが、都会で評判が良いそうです。
そんなわけでその後の懇親会で「青」の方を飲むと
「おっ、都会派!」と声がかかるように。笑。
でた弁当がこちら。
「ふかまつ」という料亭のもので
中はこんなん。
おお、おいしそう。
いわゆる松花堂弁当ってやつですかね。
テーブルについた名も知らぬおじいちゃんたちと一緒に食べました。
一人は若鶴の専務?営業部長?かなにかでした。
普段、仕事の場で会うような部長か専務くらいなら
そらもうペコペコして、ちりとりくらい下から持ち上げるへりくだりっぷりを見せるワタクシですが
なにしろ今日はこちらが3,000円も払っとるんや!
何喋ったって気にしないもんねー!
と、わりかし自由に好きなコトしゃべっていたので食事もお酒も楽しめました。
右下に入ってえびの台になっている唐揚げ?が美味しかった。
ふぐの唐揚げかな?
白身でしっかり歯ごたえがあって、冷めてもうまかったでやんす。
エビの衣に細かいおかきがまとわっていておもしろい。
見た目以上にボリュームがあって、腹減ってたはずなんだけど満腹になりました。
ちなみにこの「ふかまつ」という店について
祖母&祖父に「知っとるけ~」と聞いてみたところ
「ああ、あそこは昔女郎屋やったんや。おじいちゃん(高祖父)がよく行っとったもんや」
と、あけすけに語っておりました。
…じょ、女郎屋!
祖母から「女郎屋」という単語を聞くとは思いませんでしたね。
実際に声に出して耳にするとなかなかインパクトが有ります。
まぁ、その女郎屋が本当にいまイメージする女郎屋なのか
ただ単に飯盛女がついてくる、いわば現在のコンパニオンがいるだけの
スナック的なめし屋だったのか、実態はなおわかりませんが。
どちらにしても昔の話ですのでね。
ホームページなどを見る限りいまの店はあくまで料亭であって女っ気はないようです。
当時(昭和初期?)でもみんながみんなそんなところに遊びに行っていたというわけではなく
「我が家は昔(戦前まで)はこの辺一帯の地主やったもんや(エヘンエヘン」
というのが祖父と祖母のいかにも農家らしい自慢話であります。
今となっては、そうかそうなのか、と、受け流すくらいの話ですが。
それにしてもこの田舎も田舎なところに
女郎屋と呼ばれるほどの料亭(置屋?)があったというのは
面白い話ですね。
何年後になるかわかりませんが
天国へ行った際には女郎屋通いの件について高祖父に問いたださねばなるまい。
とりあえず写真は終わり。
酒楽塾は来月と再来月もあるようです。