『風の食い物』(池部良/文春文庫)感想
兵隊に取られて軍隊に入った時の話が最も多く、内容的に繰り返していることも多いのですが、語り口は常に軽妙洒脱で、読みやすく楽しいです。南の島に配属されて、当初は装備も食料も潤沢にあって、そこらに生えているトロピカルフルーツを食べたり、この世の楽園に来たかと思っていたら米軍の艦砲射撃で食料が全て吹っ飛び、飢餓に苦しみミミズもナマケモノも食べた…という話が印象深い。
その他にも、父親が藤田嗣治から送られたという本場パリのフロマージュチーズの話(屁の臭いがするものほどウマイそうな)や、中国人が作ってくれて、撮影場所のストーブの上にアルミ弁当を乗せて温めて食べた青椒肉絲と麻婆豆腐とか(うまそうなんだこれが)、戦後に病気を得て伏していたところに不意に頂いていた他人の母乳であるとか、美味から不味まで、イキイキとしたエピソードとともに語られて、食べてみたいなあとか、食いたくはねぇなぁと思うメニューが出たり出なかったり。
フォアグラや活造りといったメニューに対してヒューマニズムを持ち出すところが、僕とは立場を異にする点ではありますが、全体的に面白く読めました。
やれ、脂肪肝にして喰うのは非人道だ、やれ、活造りは虐待だ、という論があるけれどね。じゃあ、わかりました。家畜には、健康に文化的な生活を送らせましょう、いいエサ、いい運動、いい環境で育てましょう…と仮にやったとしてもね、結局喰うんじゃねえか。というね。ヒューマニズムを持ち出すと、やはり絶食して即身仏になるよりほかに道がない。
活造りもフォアグラも猿の脳みそも燕の巣も、やはり罪深い。僕は罪を自覚してありがたくいただきたい。そういう風に思いますね。
このエッセイの中で一番おいしそうだったのは、匍匐前進の訓練中に引っこ抜いて食ったという痩せ大根。
人は食わずには生きていられない。ということは生まれてから死ぬまで、たいてい何か口にしているわけで、となると、人生のエピソードというのは食とともにあらざらん。それを描写する、活写することで、自然と人生の一幕が描かれるのですね。
例えばいま、僕は自家製の梅酒(ハチミツで作ったらにごり梅酒になったけど、上出来)のお湯割りと、ジップロックに白菜を一枚むしって太い千切りにしたものに塩昆布をまぶしてレンジで2分チンしたものを食べた。粗食極まりなけれど、なかなかどうして美味しかった。それが独り身の深夜1時の味わいです。