明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

セブン・イヤーズ・イン・チベット

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を読んだ。

これが結構みっちり濃厚でね!
意外と読み終わるまで時間がかかった。

小説ではありません。
紀行文……ということになるんでしょう。


まあ、あらすじというか説明。


時代は第二次大戦中。
舞台はインド~チベット
筆者のハインリヒ・ヒトラーオーストリア(ドイツ)人。
筆者が英国インドの捕虜になってしまうところから、そこから脱走し、チベットへ遁走、
中国(共産党)の侵攻によりチベットを後にするまでの事が書かれている。

筆者は英国の捕虜収容所から脱走して、ビルマへと逃げることを目指す。
なんでビルマかといえばそれはドイツの同盟国である日本の勢力地域だからですね。
まあそれはうまくいかずに結局中立国であるチベットへ保護を求めに行くんだけれども。

当時チベット鎖国政策といっていいほど外国に対して門を閉ざしていて、国際法にのっとった保護を受けるのにも一苦労というか一悶着というかあって苦労するんです。


それらの長い前置きを経た後にようやく、チベットでの7年の生活が始まって、
最後には国王ダライ・ラマの教育係にまでなる。
そのチベットまでの山岳逃避行(基本富士山よりも上の世界の話だ!)と、
チベットでの生活のエッセイ……エッセイというと軽く感じられるけども、
むしろ文化人類学的フィールドワークの成果としてのエスノグラフィー的色合いもある。


チベットに居ていいことになった筆者は、持ち前の技術や知識を生かして造園や堤防建設の仕事に携わり、
ダライ・ラマの依頼により映画館もつくり、映画も撮った。
そして筆者によると「ラサ(首都)の高僧たちを特に喜ばせたのは、ウォルト・ディズニーの漫画映画だった」ということです。

そして映画館建設や映画撮影により国王ダライ・ラマと仲良くなって、教育係を任ずるまでになる。
少年ダライ・ラマは聡明であり、知識欲も旺盛であった。
国王が欲する知識を、自分の能力を存分に使って教えられた時間は筆者にとってもとても大事な時間だったというのはよく理解できる。

しかしその蜜月は、赤化中国のチベット侵攻によって打ち壊されてしまう。
その後中国はチベットで虐殺と略奪を繰り返し、チベットでは120万人以上が殺されたということだ。

まったくこの中国って国は……!




筆者はチベットの美しい風景、仏教徒の敬虔な様子=チベット人のつつましく理想的な精神活動を描写するのに心を砕く。
筆者が7年のチベットでの生活で得た知識や情報を、欧米世界に紹介することで
チベットへの理解と同情を得ることが本書の目的である。

なるほど。
と思う。

とりあえず折れ個人のレベルにおいてはチベットへの理解とその被害への同情は深まったもんね。



映画版が有名です。
機会があったら見てみようと思う。