明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也/新潮社)

あけましておめでとうございます。
と言ってももう明けてから5日も経ってしまっているわけですが…。

今年初めに書くブログの内容はこちらの本の感想です。

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(迫真)。
という表情で腕組みをしているのが
タイトルにもある「木村政彦」という人です。

簡単に言うと昔の柔道のチャンピオン。
史上最強の日本チャンピオン。

そうと言われると納得のすごい肉体をしているでしょう。
ちなみにこの写真の撮影時で18歳。
体もさることながら顔も老けてるなぁ。
まあ昭和ですしね。

世界選手権で世界チャンピオンになったことはありませんが
それはまだ世界選手権が開かれる時代の前の話だからです。
だから史上最強の(といわれる)日本チャンピオン。

あの『姿三四郎』の作者・者富田常雄が言った

「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」

という伝説的なキャッチコピーの残る人物です。
かっけえ。

その木村政彦という人の評伝を読みました。


☆あらすじ☆

評伝の「あらすじ」ってのも変な感じではありますが。
えーとつまりこの木村政彦って人はあの昭和のプロレス王・力道山を怨んでいたんですね。
そもそも「なぜ木村政彦力道山を殺そうと思ったのか」。

木村政彦力道山はプロレスの試合をしたんですよ。
昭和当時、柔道の人気は現代の比にならず、日本選手権や天覧試合を制した木村は
やや老いたりとは言え国民的大スターだったらしいんですね。

で、新しい国民的大スターの力道山がそれと闘うと。

「鬼の柔道」木村だ、いや「空手チョップ」力道山だ、と、
国論を二分して(おおげさ)議論がなされたといいます。
でも本当は事前に約束がしてあって
全3試合で最終的には引き分けにする手はずだったんです。

だけど力道山がその「ブック(シナリオ)」を一方的に破り、
木村政彦をしっちゃかめっちゃかに殴り倒してしまった。

この試合はチャンネル数も多くない当時、
史上最強と謳われた柔道王と、空手チョップのプロレス王・力道山が闘うなんていうのは国民的一大イベントで、
生放送の視聴率は100%ともいわれたくらいの世紀の一戦でした。

で、負けたと。
なす術なくボコボコに殴られ蹴られして一方的に負けたと。

木村政彦は全国民の目の前で無様な姿をさらしてしまったというわけです。

「一敗地にまみれる」という言葉がありますが
この人は正にそれ。
たった一度の敗戦が、それまでの地位も名誉も名声も、
日本選手権優勝も天覧試合優勝という過去の栄光をも全て吹き飛ばしてしてしまいました。

検索すれば試合の動画が出てきますが
それはもうブザマな負けっぷりです。
(あまりにしのびないのでリンクを貼ることはしませんが…)

世紀の一戦に、約束破りの不意打ちを食らって負けたと。
その無様な姿をテレビを通じて全国民が見たと。
一夜にして全てを失ったと。

「何が木村だ、何が柔道王だ」と蔑まれるなか、
力道山時代の寵児になり国民的ヒーローのプロレス王として社会的地位を確かにしていく。

本当にセメント(真剣勝負)で戦えば、今でも俺のほうが強いはずなのに――。
力道山の野郎がしたことといえば汚い裏切りと不意打ちだけなのに――。
奴は「強さ」というものを愚弄しているのに――。

木村は終わった人間と見られ、力道山は「英雄」となった。
それは殺したくなっても当然ですよね。

実際、しばらくは短刀を持って力道山のあとをつけ狙い、確かに殺す気でいたというのも納得です。
では、なぜ木村政彦力道山を殺さなかったのか…。


☆感想☆

面白かったですわ。
手荷物だけでずっしりと重たい、書いて字の如くの大著ですが
迫力と熱気ある文体で、後半は一気に読み進めることができました。

こんな分厚い本(700ページ弱)↓

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しかも

イメージ 3

上下二段。

この本を書くのに一体どれだけの証言や資料を必要として、
どれだけの時間や労力を取材や資料探しに必要としたのかを想像するだけで
絶句します。

なんでも著者はもともと新聞記者だったみたい。
で、なんと取材期間に18年も費やしたそうです。

そらー大著になるはずですわ…。

そもそも「評伝 木村政彦」が主題なので
ショッキングなタイトルとは意に反して
内容の大部分を木村政彦の人生についての描写や説明について割いています。

しかしその長い長い人生の詳述があって
木村政彦の最後の戦いと言っていい力道山戦の理不尽さや謎も理解できるというものです。

はっきり言って壮大で波瀾万丈な人生を送られた方なので
感想も部位部位によっていろいろな思いを抱くもので
どこから何を言っていいか整理がつきません。ひとことで言うと…

すごかった。(小学生並の感想)

九州の川で砂利とりをしているうちに足腰が鍛えられ、
それを見た師匠の牛島辰熊(すごい名前)に九州からスカウトされて上京して
「人の三倍練習する」ことを日課にして日本選手(士)権・天覧試合を制するまでの少年~青年時代や、
軍に入隊するも上官と喧嘩したりイタズラしたりまともに教練しない戦時の話とか
敗戦後、師匠牛島の元から離れて糸の切れた凧のように好き放題したり
「プロ柔道」を旗揚げして頓挫したり
妻の病気の薬を買うためにハワイに渡ってお金を稼ぐためにプロレスやったり(そしてハメを外し過ぎたり)、
ブラジルでのグレイシー柔術との邂逅、伝説のエリオ・グレイシーとの闘ってエリオの肘を完全に破壊したり
(この後、グレイシー柔術では「腕絡み」のことを「キムラロック」と呼ぶことになる)、
木村政彦という人生のどこを切り取っても実にドラマティックでおもしろく
読んでてまったく飽きません。

そして日本に帰りプロレスブームが起き、
力道山とのタッグと離別があり、木村が力道山に殺意を抱く原因となる最終決戦へつながっていく。

ここまで500ページくらいですかねー。
描写は木村が生まれ活躍した戦前~戦中~戦後(復興期)が主になり
一人物の評伝ながらひとつの昭和史の体をなしています。

木村の体躯と同じように、肉厚骨太な一冊ですが、
もともとが『ゴング格闘技』という格闘技雑誌で4年間連載された連載記事だったので
特別難解な表現を使ったり文章が読みづらいということがなく
大量の文章ですがスラスラと読みやすいです。

思わずページをめくる手に力がはいるような力感のこもった文章に
いつの間にかぐいぐいひきこまれていきます。
読んでいるうちに体温が1~2度上昇しているような。

ものすごい人生を送った木村政彦という人間を
ものすごい時間と手間と労力をかけた作者が力こぶを震わせながら描ききった渾身のノンフィクション。
見事な一冊でした。

面白かったです。

ただまあー難点を上げるならば。
一応「評伝」ってことでノンフィクションの部類に入る本だと思うんですが
ところどころ描写過多というか演出過多というか、
真実にしてはドラマティックすぎるだろという部分です。

そもそもしょっぱなから馬場さんが葉巻をくゆらせながら好き勝手にしゃべりまくってますしね。
作者の想像によりたっぷりケレン味がふりかけられているこそ読み物としては面白いんですが。
事実とそうでないところ(作者の想像)の境目がわかりづらいのです。
虚実入り乱れた、正にプロレス的な一面が垣間見える仕上がりに…。

書いてある内容についても果たしてどこまで信じていいのやらという一抹の不安を感じないでもありません。

でもまあ面白かったのでよい。

さてタイトルの「なぜ木村政彦力道山を殺さなかったのか」という問いですが、
それに対する答えは…

読んで確かめてみて!

…いえその。
上記のとおりこの問に答える部分は全体のなかのごくごく一部で
読んでみると拍子抜けするほど短く、またその理由もまっとうすぎるというか、やはり肩透かしの感があります。

そしてやはりこれも上記のとおり
そもそものテーマは木村の「評伝」…資料や証言を元に他人が書く自伝なので、
本来はタイトルのほうを『木村政彦の人生』とするのが本道で、
「なぜ力道山を殺さなかったのか」という部分はサブタイトルに回すべきことでした。
まあこの「なぜ〇〇なのか?」というのは目も引きますからね。

このやや大げさなタイトルが奏功したのか実際に多くの書評で取り上げられていました。

<「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」各種メディア書評 一覧 - はてなダイアリー>

この読売新聞の書評で読みたくなったんですよ。
そんで値段が高かったから近所の図書館へいってリクエストカードを書いて買ってもらいました。
ありがとう。

なんでもすでにあと2人予約している人がいるそうです。
待たせてごめんですわ。
明日返します。

2012年の最初に読んだ本がこれでよかった。