明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

映画?『アイリッシュマン』観た

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3時間半の映画を観るというのは人生の上でも重大事件だ。
ネットフリックス製作の映画『アイリッシュマン』を観た。
1日だから映画が安いし何か見ようと思って探したら池袋でこれが上映していた。

アメリカのマフィア一代記という内容で、一介のトラックドライバーだった男が裏社会でのし上がる様子をひたすら描く。

上映時間3時間30分という長大さ。
これまで観た映画のなかでは『アラビアのロレンス』(3時間48分)に次ぐ長さ。
しかもインターミッション(休憩)がない!
おしっこもれちゃう。

それでもその内容は裏切りありバイオレンスありで見所たっぷりかつ細かいカット割りで淡々と進んでいくので退屈はしない。
人がたくさん死んだ。出てくる人、出てくる人、みんな死んだり殺したりした。何人死んだか、1、2、たくさん…。

ネットフリックス製作だから、映画のスクリーンというより家庭のテレビやPCモニター、スマートフォンでの視聴になることも意識してるのかしていないのか、映画の絵作りということについてはよくわからないけど、それほど「ああこれは映画の大銀幕で見なくちゃダメだなあ!」となるシーンは少なかったように思う。

映画とドラマを分けるものはなんだろうか。
かつては予算も違うし出演する俳優すら違った(らしい)し、アメリカで言えばハリウッドで作るものが映画だったしフィルムのキャメラで撮るものが映画だ。

「今はもうドラマと映画の垣根なんてなくて、ロバートデ・ニーロとアルパチーノダブル主演でスコセッシ監督が撮影してる本作はなんなら映画以上だ」という意見もあるみたい。だけど、あくまで個人的な感想として、これはメチャクチャに金をかけた【ドラマ】じゃないかなあ。

何をもって映画とするのかという定義の問題にはなるけど、これを映画として観るならやっぱり長すぎるし一応のクライマックスはあるけどやっぱり淡々としているし、2時間(とか)の厳しい枠のなかでひとつのテーマとキショウテンケツガあってみたいな、制約の中で凝縮されたシナリオを魅せるというより、方向性としては原作(ノンフィクションの本が下敷きにあるらしい)に沿って、男の一代記を丁寧に描いている。
シンプルに時間的にも4夜連続スペシャルドラマだよなあみたいなこともあるし、ラストシーンが「(長い割に)これで終わり!?」というくらいシンプルなものだし。だしし。

すばらしい作品であることに間違いはないんだけど。3時間半退屈せずに観られたし。それは凄いことだ。
現地ロケしてひたすら砂漠と青空との地平線とラクダ騎兵で魅せる『アラビアのロレンス』に比べてしまうと、映画としての物足りなさを思わずにはいられない。

でも、映画館じゃなくてネトフリでPCとかテレビとかスマホとかで見たら、自分の性格からして絶対途中で一時停止とかして他のことをやっちゃったり集中できないんだよなあ…。

でもまあ、観てよかった。三時間半の映画はそれを観終えること自体がもうドラマチックだもの。