明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

『コクリコ坂から』面白かった

イメージ 1
画像は今公開中の映画『コクリコ坂から』の
宮崎駿が描いたというイメージボード。
本作のポスターにもなっていて
映画館の中に貼ってあったり大きなPOPになって設置してあったりします。

ここでは主人公は青いストライプのエプロンをかけていますが
本編中ではこのエプロンは一度も登場しません。

このイラストではいかにも宮崎駿的な非実在理想郷的無垢可憐少女になっていますが
作中ではこのエプロン姿が現れないように
もう少し一般的なというか、どこかに居そうな少女像に仕上がっています。

どうやらそれはハヤオ脚本を読んだ吾郎監督が、あえてそのように変更したらしいです。
そしてそれは英断であり正解だったと思います。
ナウシカクラリスみたいなヒロインは宮崎駿だから許されるのであって
吾郎監督がそれをやっても失敗する気がしますし
観客の目線に近いほうがより感情移入して話に没入できましたもの。

予告編はこちら↓


この手嶌葵の『さよならの夏 ~コクリコ坂から~』という主題歌が
すごい良いです。
どこかノスタルジーを感じさせるメロディがしんみりと心に響きますね。

というかこれ森山良子さんの元の歌があったんすね。
知らなかった。↓これ。


こうして聞くと
手嶌葵版の瑞々しさが一層際立つというか
森山版の枯れ具合が全く別の曲みたいですね。


●映画の話

今日は1日だったので映画が1,000円で見られます。
チャンスを逃さず見てきました。
スタジオジブリ最新作『コクリコ坂から』。

あの『ゲド戦記』を監督した宮崎駿の長男こと宮崎吾朗監督の第二回監督作品です。
糸井重里が映画を見て「ゲドよりはマシ」というキャッチコピーを作ったというデマのような噂がありますが
そう聞くとたしかに何故か見たくなりますね!笑。

東京五輪の前年、横浜にほど近い海の見える街を舞台に
少年少女のほのかな恋心と学生寮“カルチェ・ラタン”取り壊し計画と
それに反対する学生運動が主な軸として物語が進められていきます。

まぁー詳しいあらすじや細かい設定は公式サイトを参照していただくとして。

「なぜコクリコ坂は(ゲド戦記とは違って)面白かったか」
ということについて考えたことを少し書きます。

●感想

ゲド戦記』と『コクリコ坂から』を比べてみると
キャラクターがしっかりしていたり
設定が(壮大なファンタジーでなく)日本というより身近で足のついたものであるといったり、
より面白く感じられるようになった要因は幾つか挙げられるんですが
やはり一番大きかったのは

「話の筋がわかりやすく、しっかり描ききっている」ということに尽きると思います。

なんだか設定が煩雑で主人公がヘナヘナナヨナヨして
基本的に流され体質だったり生気がなかったりして
終わってから「で、結局どういう話だったの?」とぽかんとした表情になってしまう『ゲド戦記』と違い
『コクリコ坂』は、しっかりした(ジブリらしい)主人公が
「先輩にほのかな恋心を抱きつつ騒動に加担していく」という大筋がハッキリとわかりやすく
観た人はほとんど全員あらすじを簡潔に説明することができると思います。

このあらすじだけ見ればまあどうという話でもないのですが(得てして名作とはそういうものです)、
それだけに物語の骨格がしっかりしています。

その確かな骨格の上に、
スタジオジブリの日本一と言っても過言でないアニメーションが肉付けされ
手嶌葵坂本九などの豊富な劇中歌で鮮やかに彩られ
個性豊かなキャラクターたちがスクリーンの中を賑やかに動きまわります。

ゲド戦記』ではジブリのアニメ力に振り回されて
話がグラグラしてしまっていましたが
今作ではそれがなくなり
すっかり「ジブリ」を作中で消化している、
監督がスタジオジブリを使いこなしているという印象を受けました。

ジブリらしいけど押し付けがましくない。
映画がジブリのためにあるのではなく、ジブリが映画のために働いている、というか。

原作がかなり古い少女漫画で
まあ内容もキャラクター達もその古いノリがあるんですが
古きよき少女漫画の(純真無垢な)キャラクターというのは
ジブリ映画に相性が良いのですね。

なんでも昔の東映青春映画を参考にしてつくっていたとか。
たしかに『青い山脈』的な爽やかさが随所に感じられます。

わっかっく あっかるい 歌声に~♪ 的な。

なぜかキャラクターたちがよく歌いますしね。ミュージカルか。笑。
いや別に『青い山脈』を観たことがあるわけではないのですが
石原裕次郎かそれよりちょっと前くらいの青春の典型というものを描いた映画というような感じがするような
感じです。


●カルチェ・ラタン

学生寮“カルチェ・ラタン”は回廊状の3階建てで
(公式サイトみたら寮じゃなくて部室棟でした)
明治だか大正だかに建てられたという設定なのですが
なかには哲学部や高等数学部や新聞部など文化部部室がひしめき合い
数十年間に渡りOBから後輩に受け継がれてきた様々な文物が堆積し、すっかり男たちの魔窟と化していて
これが非常にいいです。

出てくるときに流れるちょっとモダンジャズっぽいテーマ曲もステキで
こういう汚い学生寮って憧れるよな!(でも実際には無いよな!)という不思議空間が出来上がっていて
もともと建築家の宮崎吾朗監督の得意分野丸出し感が素晴らしいです。

楽しんで設計図引いたんだろうなと思わせられる建物でした。
現実にあったら実際に足を運んで見てみたいような。


●吾郎監督について

スタジオジブリっていうのはもう日本アニメの代表的スタジオで
スタジオの名前だけで客が呼べるっていうのは日本では他にない、
その意味ではディズニーやピクサーに並ぶアニメスタジオなんですね。

まぁ野球で言えば巨人軍ですわ。
宮崎駿は大スターの長嶋茂雄であったと言ってもいい。

ゲド戦記の時の宮崎吾朗は(しかもそれまで野球をやらなかった)一茂が「茂雄の息子だから」って理由で
いきなり巨人軍の監督を任せられたようなもので
そりゃあもう内部の混乱や軋轢やあれこれ尋常じゃない状態になるのは必至で
しかもそのタイトルが世界に冠たる大ファンタジー小説だってんだからこれはもう
一茂監督率いる巨人軍が森監督率いる常勝軍団西武(90年代)と日本シリーズで取っ組み合うようなもので
いくらチームに戦力があっても普通に敗北必至だったのでした。
その意味で当時の一茂…吾郎監督は被害者であったと言ってもいいかもしれん。

その一茂監督がしばらくぶりにメガホンを取って
作った映画というのがこれなんですが
これがとても良く出来てる。
驚きました。

スタッフやチームメイトの戦力を実に上手く使いこなして
自らの得意分野では自分の実力も発揮していい建物を作って
対戦相手もやや小ぢんまりとして地に足のついた阪急ブレーブスくらいの原作相手ですから
もう見違えるような試合を見せてくれているわけです。
(この例えは野球がわからない人にとっては全く意味がわかりませんね)
(要はやりやすい原作だったという意味です)

ひとつの驚きとして、
『ゲド』から数年後にこれが作れるというのは
ものすごい成長幅で、その大きさに驚くという面白さがあると思います。

というか無意識のうちにハードルを『ゲド戦記』レベルまで下げてから見始めているというのが
コクリコ坂から』が面白く感じられる一番の要因かもしれない…という身も蓋もないことも思いますが。笑。

NHKのドキュメント

いまちょっとWikipediaで調べてみたら
>2011年8月9日にNHK総合で映画製作裏側を取り扱ったドキュメンタリー『ふたり『コクリコ坂・父と子の300日戦争~宮崎駿×宮崎吾朗~』を放送[。

というのをやるようです。
おっ…これは面白そう。


●瑣末なこと

・船が爆発するシーンの爆風がこれまでのジブリとはちょっと違う
AKIRA』っぽい爆風の広がり方だったように思う

・最後に出てくる海外航路の船が「ジブリ号」かなんかだった
船の先端あたりにナントカGIBRIって書いてあった

●心残りは三つ折ソックス

主人公の女学生が三つ折ソックスを履いているんだけれども(1963年なので)
映画冒頭の身なりを整えるシーンでこのソックスを三つ折りにする部分が描写されなかったのが大不満
髪を三つ編みにするシーンはあるのに。

そうじゃないでしょうと。

言ってやりたい。
これを描かなくてどうするんですか、と。
問い詰めたい。吾郎を。

なぜなら髪を三つ編みにするのはそのままじゃ(家事をするのにもなんにでも)鬱陶しすぎるという
実務的な理由があるけれども、ソックスを三つ折りにするというのは
全くそういうことのない、純粋なオシャレ目的です。
実際的な必要がないのにそうするという点で、身だしなみにかける主人公の気持ちが
髪を三つ編みにするよりはっきり出ています。

それに今から見ると「三つ折ソックス」というのは全然オシャレな行為ではありません。
でも貧しいから今の女子高生のようにオシャレできることがないというのもわかります。
いじましい。

日々を下宿人の世話や家事に忙殺される所帯染みた主人公でも
それでもやっぱりソックスは三つ折りにするのだという。
その「女の子のこだわり」というか。
そんなオシャレな子じゃないんだけどここだけはやっぱり三つ折にするという。
その行為が実にいじましい。
一行為にかける心のありようが美しい。
これはじっくりねっとり1シーンをかけて特筆すべき項であります。
主人公の少女らしさの発露である三つ折りソックスの重要さに関しては声を大にして言っておきたい。

起きて、寝間着から制服に着替えて、素足に長い靴下を履くそのシーン。
畳の床に尻餅をつくようにして座り、片足を伸ばして、両手で足の指先を迎えるように靴下を履く。
ひざ下まで白いソックスが伸びる。
そしてそれを丁寧に折り返して、美しい曲線を描くふくらはぎの下、細い足首のあたりまで戻す。
それをもう片足にもやる(左右で違わない様に気をつけて丁寧に折り返す)。
ちょっと手間のかかる行為である。
だけれども、忙しい朝でもその一手間を省くことはしない、女の子であればできない。
そういういじらしい可愛らしさの見えるシーンになる。
実にフェティッシュ崇高な光景である。光り輝くようなシーンですよ。

なぜそのシーンを描かないか宮崎吾朗

ヤツはそこがわかっちゃいねえ! フェティシズムの何たるかを理解しちゃいねえ! ケッ!
そこだけが唯一の心残りです。


●まとめ

面白かった。話がよくまとまっていて。
ストーリーと描写が詰まっているので91分の映画でも120分くらいに感じるいい凝縮具合。

部室棟“カルチェ・ラタン”の設計が良かった。
あそこに行ってみたくなる魅力がある。

主人公の女の子を「宮崎駿ヒロイン」にしないで「普通の女の子」に近づけたのは英断。
あれは逆にハヤオには描けないもの。
ストーリーの起承転結がしっかりしていてそれを土台に
スタジオジブリの高いアニメ製作力が発揮されている。

宮崎駿には作れないスタジオジブリの新しい映画だった。
よかったです。マル。
靴下を履くシーンがなかったことだけが残念です。

あと企画・脚本の宮崎駿が語る「なぜコクリコ坂からを企画したのか」という動画↓
個人的には面白かったからどうでもいいっちゃどうでもいいのですが
「なぜこの作品をジブリが今映画化しなければならないのか」ということについて
宮崎駿が語っています。

なるほど主人公の彼女が掲げる旗は正にそのまま「Show the flag」という意味の旗でもあったかと。