日本の結婚式における認証の主体と日本人について
写真は結婚式と披露宴の間に出されたシャンパンというかスパークリングワイン。
青色がかった見た目も爽やかな、口当たりの良いサイダーみたいなワインでした。
いやいやいやいや…
やっぱり20代も後半となるとね
こうして人の結婚式に出ることも多くなりまして。
出てばっかりで自分の結婚式の予定が一個もないというのが寂しいものですが。
かと言って2個も3個もあっても困るものですが。
まぁとにかくね。
結婚式の楽しみというのはね
やっぱり…
お酒。
そして…
料理。
ヒルトン東京ベイホテルなんていう名門ホテルのフランス料理なんてね
やっぱりそうそう食べられるものじゃありやせんから
へっへっへ あっしら下々の者は
こうして旦那のおこぼれに預かるだけで 満足でさぁ…
なんて
なにも江戸時代の人足人になるまでへりくだる必要はないか。
こほん。
閑話休題。
自分だけの視点から見た楽しみというのはそのくらいのものですが
それでもやっぱりやってる本人たちにとってはとてもお金と時間と労力をかけて
会社の上司や先輩や上長を呼んで
「私達こうして夫婦になります」
という世間一般への宣言をするという一儀式ですから
あのー本当はこういう物見遊山でいくのは失礼なくらい厳かで大事なことなんですけどね。
(でも観光気分だよね/笑)
もちろん教会で夫婦になる宣言も牧師の下にやるんですが
やっぱりあのクリスチャンでもないのに教会でやる結婚宣言って
こう、むず痒いというかなんというか、こっちが恥ずかしくなるような
盛大なごっこ遊びに見えちゃいますね。
洗礼も受けずにミサも出ずに
葬式には坊主を呼んでお経を上げて
初詣は神社に通って
その日会っただけの日本語カタコトの神父さんにいきなり
「アナタタチヲゥ フウフトゥ ミトメマース」って
言われてもねえ。
それならまだ
「カイコクシテクダサーイ」
の方が真に迫って心にすっと入ってきますよね。
ええと別に今回出た結婚式に文句やケチを付けたいわけではなくて
(美男美女の新郎新婦がお似合いのいい式でした。料理も美味しかったし)
何が言いたいかというと
以下はそれをきっかけに考えたというか思いついたことで
その空辣なおままごとめいた“儀式”よりも
新郎新婦にとっても、そして出席者ほとんど全員にとっても重要なのは
「結婚しますということを見せつけられるために時間を使いお金を使い足を運び
. 世間がそれを確認したという事実」
なのだろうなぁと。
あのーつまり
結婚式の出席者っていうのはその二人にとっての“世間”ほぼすべてなんですよね。
おそらく。
会社の関係。
家族親戚。
親しい友人。
そこに集められる人たちというのは
新郎新婦の(比較的直接的に)関わる人々の集合で
言い換えればそれは彼らにとっての「世間・世間体」なわけですよ。
そこに向かって「私達結婚しました!」と言うことは
縁もゆかりもない、これまで関係性を深めて来なかった神様の前で誓うより
よっぽど重たい意味と契約の重要性を以て二人の関係を強固にするものだと思うのです。
婚姻届という役所の紙ペラ一枚より
初めてその方式でやる宗教行事の神様より
よく知っている人たちに見守られている(見張られている)世間体の方が
実際的な重さがあるよね、ってことです。特に日本人にとっては。
だから結婚式というのはキリスト式でも三三九度でも「神前式」で一応やりますが
実際は参加者による「世間」が二人の夫婦関係を認証する「人前式」であるのだなあと。
新郎上司の面白くもないスピーチを聞き流しながら考えていたのです。
(実際「結婚式」より「披露宴」に時間も費用もかけるのも、それゆえと思います)
「お金を使って時間を使って足を運んで
. 休日を潰してこうしてここまでやってきて見届けてやってんだから
. お前ら幸せな家庭を築いて健やかなるときも病めるときも
. 死ぬまで仲良く暮らしやがれよこの野郎」
という出席者による集合的無意識を作り上げ、「世間」による「空気」を醸成し
空虚な「誓いの言葉」以上に
二人の幸せな生涯を遂行する結婚契約に実際的に力を持たせるための、壮大な
そして実に日本的な儀式装置なのだ披露宴というのは! (バーン!
…ハァハァ…フゥフゥ…。
ひっ一人で盛り上がってしまった…。
…こほん。
繰り返しますが別に今回の結婚式がどうというのではなくて
あくまで一般的にそうなのだろうなぁという
「世間一般の結婚式」というものと日本人の気質について思いついたことですからね!
いやしかし
最初は「結婚式行ってきました~♪ 料理美味しかった☆キャハッ」とだけ書くつもりが
やたらと長い、割と真面目な「日本人論」に至る内容になってしまった。
おそらく俺の中になにか鬱屈したものがあるのだと思う。