広重デザイン「福寿印(馬鹿印)」について補足
こないだもちょっと書いた
年賀状に使った広重デザイン「馬鹿印」ですが
これが「福」と「寿」のくずし字をデザイン化したもの… という解説はちょっとありましたが
その「福寿」という字のじゃあもともとの字はどんなものだったのか…
というのをちょっと書いておきます。
調べるのに使ったのは…
「八体字鑑~(ドラえもんの口調で)」
これには楷書や行書や草書や篆書など、8つの書体が書かれています。
ちょっと気になったら本棚からこういう本がさっと出てくるのがアカデミックなところですね(自賛)
まぁ本当はなにかしらんけど親父がなぜか持ってただけなんやけどね。
とにかくそれで「福」と「寿」の字を調べますと…
福! (草書体)
寿! (草書体)
えーと「草書」というのを簡単に説明しておきますと
つまり日本の“筆記体”。
行書は歩くが如し、草書は走るが如し… という言葉もある(らしい)
明治くらいの昔の人が文章を書く時などに使っていた文字です。
(実際にはさらにくずし字、連綿、変体仮名なども散りばめられていてややっこしいのなんの)
(単純に字が汚い人もおそらくいる。笑)
書道をやると習うかな? 高校の選択科目のときに習ったような気が…。
そしてこれを見てから改めて「福寿印」を見返すと…
(寿 福)
ははぁナルホド「寿」の点をしっぽに、払いを足にして…
福の点と偏を角に、右下の田を丸めた足に見立てて…
なんとな~く、文字の面影を伺うことができます。
で、もって。
この「福寿」というのをデザイン化する際にじゃあ広重が
「馬鹿」という(シャレの)意図をもってデザインしたのかというと
そうである、と言うためにはその「馬鹿」という言葉が江戸時代…広重の生きた時代に
今と同じように使われていないといけないわけです。
でもってそれもウィキペディアでサクッと調べてみると…
< 馬鹿 - Wikipedia >
>馬鹿が「愚か」の意を含むようになるのは江戸時代の好色一代男あたりからである。
ほうほう。
でもってその『好色一代男』というのは
< 好色一代男 - Wikipedia >
>8巻8冊。発刊は1682年(天和2年)、西鶴41歳の作品とされている。
17世紀に出ていた本。
で、歌川広重は江戸時代の中でも
< 歌川広重 - Wikipedia >
>歌川 広重(1797年) - (1858年10月12日)、浮世絵師。
主に19世紀に活躍した画家…
というわけで、ここまで調べてみて、図案を「馬鹿」(鹿馬)にしたのは、やはり偶然ではなくて
広重のユーモア・冗談であったのではないかと推測することができるわけです。
あるいは
作品にわざとカンペキでない「隙」を作る意図があったのかもしれません。
題材や構図にこだわってある種「完璧」なものに仕立ててしまった作品の最後に
この冗談っけある「馬鹿印」をポンと押すことで、見る人も肩の力が抜ける…というか。
なんてーのか、格好を付け過ぎるのは「粋」ではない… という考えがあるように想像します。
広重の茶目っ気というかね。
イメージとしては、北野武がさ
なにかこう、政治でも社会でもマジメな話題をマジになって語った最後に
「ナーンチャッテ」と少しはにかんで笑って、自分を軽く下げる冗談を付け加えるような。
そういう意図がある印章だったのでは、ないでしょうか。
まぁ、想像ですけどね。
数百年前の画家に対してそういう想像を巡らせるだけでも、楽しいものです。