ペリカンの万年筆を買った
誕生日プレゼントに万年筆を買おうと思っていた。
誰かの誕生日ではなく自分の誕生日に。
これまで使っていたものはどこかに見失ってしまった。
いや、探せば、きっと家のどこかにある、と、思う。
以前の万年筆は、書くことをやりたいという思いと、本当にそうできるかという迷いのなかで、パイロット、水先案内人という意味のメーカーのものを選んだ。
こういう、モノの名前やメーカー名に、縁起がいいとか何か想いを託してしまうのは日本人だからなのかな。
マメになるように黒豆とか、めでたいから鯛だとか。
水先案内人は名前にたがわぬ働きで僕を書くところにつれていってくれて姿を消した。
だから見失った原因が僕の病的な不注意に恐らくあるとはいえ、そこに何かの意味を感じてしまう。
僕が迷いのなかで手に入れたパイロットはその役目を終えた。
自分に都合のいい解釈をするのは僕の得意なことだ。とにかく、なくしてしまったし、新しい万年筆を買おうと思っていた。
「なくしてしまったのなら新しいのを買えばいいじゃない」とは、マリーアントワネットもビックリの貴族思想だけど、誕生日だからいいだろう(前の万年筆だって5年以上は使ったのだ)。
銀座の伊東屋という文房具店へ行く。
僕は権威主義が嫌いだしブランド志向は唾棄すべきものだと考えているけどミーハーなところがあって、「万年筆を買うなら伊東屋だな!」と決めつけていた。
実際はそう考える人が大勢いたせいか、人が多すぎて、来店した2回は見るだけで何も買わずにすごすごと帰った。
もともと人混みが苦手で、酉の市みたいなガヤガヤしたところで、数百本、ひょっとすると1000本以上ある万年筆の中からじっくり自分のための1本を吟味して選ぶなんてことは、とてもじゃないけどできない。
新宿の百貨店や世界堂、万年筆専門ショップとかを何店かまわってカタログをもらったりした。
それにしても。
万年筆なんて非実用的なものが、いまの時代にこんなにも種類があって、人々がそれを求めてフロアがぎゅう詰めになるくらいお店に訪れるなんて、いったいどういうことなんだろう。
いや、買おうとしているのは僕もその一味なんだけど。
それを非実用的なものと理解した上で、趣味の品として買う趣味人が、酔狂な人が、無駄遣いをするバカが世の中にはそんなにたくさんいるということは、喜ばしいことだ。
万年筆の種類の多さと言ったら驚くべきもので、価格も、プラスチックとスチールのごく安いものから、蒔絵と漆塗りと18金の数十万円のものまである。
さすがに100万円の万年筆であれこれと世迷い言を書く勇気はない。
蒔絵職人と漆塗り職人が手のなかで泣く。
万年筆を選ぶ基準は何か。
値段だったり、書き心地だったりいろいろある。
今回は見た目一本勝負で決めることにした。
デザインがかっこよければいいのだ。
美しい色をしている。
輝く青や、緑や、紅色の本体に黒い縦線が入っていて、緑色のはスイカをペンの形にしたみたいだ。
カラーバリエーションがあるのも悩む。
クールな青、スタンダードでフラグシップカラーであるという緑、紅玉のような赤…どれもいい。
棚から見本を取り出してもらって代わる代わる手に取る。
どれもいい。
悩んだ末に青色のやつにした。
他の色に後ろ髪引かれる思いはあるけど、まあどれを選んでもそうなるだろう。
そういえば最初に買ったポケモンも青だった気がする。
カメックスブルー。
そうだこの万年筆はカメックスブルーなのだ。
書くということを趣味にできる。書くこと自体を楽しめる。
四季折々、葉書にいろいろな怪文書を書き付けて送りつけてやろうと思う。