明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

近代合理主義と円了の道徳教育

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という題で論述問題をずらずらずらーっと書き並べて、総合授業は終了!!
論述形式の試験は割と得意。
何でかは推して知るべし。

画像は学租・井上円了著『妖怪学全集』
円了さんが「妖怪博士」と呼ばれるゆえんの一書。
あの水木しげる翁や京極夏彦もこれを読んだ(らしい)んだよー。

東洋大の前身となる哲学館では「妖怪学」なるものが教授されていたそうです……。






どないやねんと。
「妖怪学」て。
合コンの時とか大変やぞ。

「あ、どうもはじめまして、文学部、日本文学化の○○です」
「どうもはじめまして、社会学部、福祉学科の××です」
ときて

「はじめまして!妖怪学部、妖怪学科の井上です!専攻はぬらりひょんです!!」


って自己紹介してみなさいよ。
間違いなくあだ名「鬼太郎」になるぞ。



「え?父親、目玉?目玉?」
とか絶対聞かれるし。
「アンテナ立ってる?妖気アンテナ。……うわっ!バリ3じゃん!!やっべーマジ妖怪居るよ!」
とか言われるし。
「お化けは死なない?学校も試験も何にもない?ってそれ大学として成り立ってないじゃん」
とか言われかねないし。

きっと明治大正時代の先輩たちは、女学生からの奇異の目に耐え忍んでいたんだろうなあ。



と思ってたんだけれども、どうも「妖怪学」とはそういうことではないらしかった。
簡単に言うと

「狐狸、妖怪の仕業」というような事象は、論理的、合理的に考えると何一つ不思議なことはなくて、
「妖怪」というものは迷信の生み出すもので、これからの日本はそういうものを信じるような蒙昧さでは
いけない!科学的思考で論理的に考えるんだ民衆よ!

ということを言ったのが円了たんらしい。
夜なお明るい現代から思うと理解しづらいことではあるけれど、百数十年前の日本の特に田舎では、
真剣に妖怪の存在がしんじられていたのかもね。

しかしそこに科学的論理的に説明を加えることで、民衆にわかりやすく(近代的)合理性を身につけさせようというのが狙い……だったらしい。



まー本人から直接聞いたわけじゃないからようわからんけどさ。
今でもあればいいのに。
「妖怪学」の講義。
面白そうだし。

専攻はからかさお化けです。