明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

姑獲鳥の夏(京極夏彦/講談社)

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確か映画化されていた本作。
読み方は「ウブメの夏」。
読んだのはソフトカバーのノベルス版。
その感想。
アニメ『魍魎の匡』の実況スレで「京極作品を読むならこの作品から」と進められた一品。
ウブメというのは赤子をさらって食べてしまうといわれる妖怪。

なんというか…色々とスゴイ。
京極夏彦本は『笑うイエモン』と『どすこい。』とコンビニで売っていた『薔薇十字探偵
だけ読んだことがあったが、そのいずれとも違う。
(いちおう『薔薇十字探偵』は、
この『姑獲鳥の夏』の主人公が活躍する「京極堂シリーズ」のスピンオフになるのかな?)
あらすじとしては、
知識豊富で容姿端麗で冷静沈着な主人公・京極堂中禅寺秋彦)のところに、
「20ヶ月たっても生まれてこない赤ん坊はいるだろうか?」
と、雑文家の関口が相談に来るところからはじまるんだけど、
その謎の妊婦がいる産婦人科病院の若旦那さんの密室失踪事件とからみあったり、
妖怪の話が出たり怪奇事件の話が出たり榎木津はサイコメトラーだったり、
てんやわんや。

姑獲鳥の夏』の何が特徴的かって、
まずはその本自体の分厚さ。
文庫版やこのノベルス版の背表紙を、
本屋屋やブックオフで見るたびに、
いったいなんでこんなに分厚くするんだ中には何が書いてあるんだ読むのにどれくらい時間がかかるんだ…。
と、若干腰は引けがちながら興味を持ってはいたんだけど、
なかなか読む機会がなかった。
そこでまぁ年末年始だし時間あるし読んでみようと思って読んでみた次第。

なんでこんなに分厚くなるんだ…と思いながら読んでいたけれど、
描かれる事件自体が複雑なことと、
京極堂が語る妖怪薀蓄や心と脳と意識の関係性などのごたくが散々書かれていて、
それでこんなに分厚くなってしまったのかと、
納得。

しかもその長ったらしいウンチクが、
事件や事件の解決編や作品のテーマとも無関係ではないので、
やはり無駄な記述ではないのだろうから、
本の分厚さも必要上のものなのかと思わざるをえない。

最初は一日に少しずつ読み進めていたんだけど、
事件が複雑な様相を呈してくる中盤あたりから面白くなってきて、
後半は深夜から明け方にかけて、一気に読んでしまった。
ひええ、スプラッタ。
という気分になり、途中で読みとめた状態では寝るに寝られなかったという理由はあるものの、、
面白かった。

めちゃめちゃ分厚いから読むのはきっと骨が折れるだろうなぁ…
と思っていたんだけど、
呼んでしまえば意外とそうでもない。
なんでだろう?
それが作家の力量というものなのかしら。

なんとなく京極作品って、
妖怪が出てくる『陰陽師』みたいな話なのかと思っていたら、
むしろ「妖怪」や「陰陽道」などのいわゆる「オカルト」というものを、
「迷信はその時代・場所で必要とされた社会構造であったのだったった」
と、系統だてて理論的に(理屈っぽく)解説をしていき、
その、
「かつて妖怪とされた人間の状態」により引き起こされた不幸な事件の謎を解き明かしていく…
というような話でした。
オカルティックではあるものの、
オカルト話ではないという面白さがあります。

しかし妖怪の薀蓄・知識量がハンパない。
作者はいちいち原典にあたっているのだろうか…。
いったいどこでこういうの習うんだろう。

妖怪博士・井上円了先生の名前もチラッと出てきて、
「妖怪に対する考え方を間違えてしまい、好きな妖怪の存在を否定せざるを得なかった、ある意味かわいそうな人」
というような事を言われます。
円了(´・ω・`)カワイソス

友人から
「『ウブメの夏』を読んで面白ければ京極作品は読めるけど、
これで面白くないと思ったら他のもおそらくつまらないからやめたほうがいい」
と言われていたので、
これが面白く読めたのはよかった。

次はいよいよ『魍魎の筐(モウリョウのハコ)』に挑みます。
分厚いってレベルじゃありません。
あまりにもページが多すぎて、
文庫版の単行本はそれ自体が箱のような形になっています。
アニメでもその難解な筋立て、ウンチク量の多さから、
実況スレでも
「だめだ、毎週見ているのに話がぜんぜんわからん。意識がモウリョウとしてきた」
とよく言われているので、
読んでいる途中に意識がモウリョウとしないか心配です。

どうもすいません。