『海と毒薬』(遠藤周作/新潮文庫)
昭和31年に書かれた
戦時の米国人捕虜の生体実験を材に取った小説。
主人公は昭和のニュータウンに住むサラリーマン。
肺気腫だかなんだかで通院している。
その医院の先生が、過去に九州の大学病院でなにか事件を起こしていたことを知り
その事件を調べていく。
事件とは米国人捕虜の生体実験にかかわるものであった。
というような話。
以下に
全体的にまとまらない感想をダラダラ書きます。
なんかくっらい話だったなぁ。
刺激的な事件に材を取っているにもかかわらず、
巻末の解説によるとその主題は
「人間の良心」とか「日本人とは何か、どういう人間か」
ということらしい。
実際に読んで見ると
「社会的・法律的に課せられる“罪”にいかほどの力があろう。
ほんとうのところ、人間に“罰”を与えるのは
その人間の良心によるしかないのだ」
というようなことが主題になっているのではないだろうかと思うです。
冒頭の章の昭和30年代の新興住宅地の銭湯で
ガソリンスタンドのおっちゃんとか普通の人が
普通に「チャンコロを殺した時~」なんて話をしているのが
当時の「現代小説」なのかと思う。
わりに軍人がステレオタイプというか、
要は悪人 悪人 大悪人 の旧日本軍的な描かれ方なんだけど、
これはどうなんだろう。
作者は従軍してたのかな?
それとも民間人として戦争を過ごしてみていたイメージなのかな?
捕虜の肝を焼いて食う(食わせる)のを示唆するシーンがあるけど、
このシーンに意味はあるのかな?
むやみに残虐性を加えてしまっているのではないかな?
まぁー「罪と罰」というか「良心と罪悪感」というテーマにそっているっちゃそっているけど。
「(社会的前提、圧力によってさせられた)殺人は罪か」という提起と、
「食人」というまたちょっと軸の違った問題が混同されてしまうことにならないかな?
あと戸田がぐうの音も出ないほどの畜生。
年上の○○と○○して○○するわ○○さんを○○せて自分で○○を○○するわ
(詳しく書くのもはばかられる畜生っぷり)
そしてそれに関して罪の意識は皆無というね。
うらやまけしからん。
戸田の幼少期のエピソード、できる子を演じていたのを転校生に見破られる、
蝶の標本を盗んで罪の意識をもつ、というのはそれぞれ『人間失格』と『少年の日の思い出』のエピソードが被る
けどまぁ偶然か。
特に後者はあれ割と新しい時代の話だもんね。
一般的に言われているところでは
この作品はクリスチャンのモラルと「神なき日本人」のモラルの差を浮き彫りにしたとか。
まぁ「クリスチャンのモラル」とか上から目線で言われても
何言ってんだよ原爆落としたくせに。
ネイティブアメリカン虐殺しまくったくせに。
南米でもアフリカでもオーストラリアでも原住民殺しまくってるくせに。
って思いますよね。
「キリスト教の教義が説くところのモラル」というならまだわかるけれども。
むしろクリスチャンのモラル問題についてはいったん置いておいて
『「空気」に流される日本人』
を描いていると見たほうが
いくらかいい。
クリスチャン的どうのこうの っていうのは
ほかの作品は知らないけどこの作品の中にはそんなにないです。
クリスチャン的要素は白人の奥さんがちらっと出てくるだけだし。
86年に映画化して銀熊賞取ったみたい。へー。
ぐう畜戸田が渡辺謙だw
機会があったら見てみたい。