明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

恥の多い生涯を送ってきました。

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というわけで『人間失格』(太宰治/新潮文庫)読んだ。
あっれー『人間失格』つったら『桜桃』と抱き合わせがデフォルトかと思ってたけど……これはそうじゃないな。
前読んだのはどこの出版社だったのか……。

何で今更『人間失格』かというと、新潮文庫カバーの青い三角がほしかったので。
安かったし(300円)。

たしか中学生の頃に読んだ時は読みづらさに参った。
あと内容の救いの無さにとことん参った。
本の作品世界にどシンクロするのが得意だったし。
参ったね。
こんなもんにシンクロしてしまった日にはもうね。
ネガティブの塊になるしか。
幼い妻ヨシ子がくだらない出入りの商人に犯されているところを目撃して、言いようのない圧倒的な
恐怖感に襲われヨシ子を助けるでもなく、アパートの屋上に逃げ帰ってガクガクブルブルしてた後の


 いつのまにか、背後に、ヨシ子が、そら豆を山盛りにしたお皿を持ってぼんやり立っていました。
 「なんにも、しないからって言って、……」
 「いい。何も言うな。お前は、ひとを疑うことを知らなかったんだ。お坐り。豆を食べよう」
 並んで座って豆を食べました。


なんてシーンはトラウマだった。
人間失格』といえばそのシーンが思い浮かぶような。
すげえ鬱。
なんか書いてて鬱になってきた。
さすがトラウマなだけのことはある。



読むと鬱になるかと思ってちょっと腰が引けてたんだけども、本屋行ったら目に入ったし、
もう思春期じゃない(はずだ)し、最近は総合授業のために毎日登校してだいぶダメ人間度が低い
健康的な生活してたし、読んでも大丈夫だろうという予測の元久しぶりに読んでみるのもいいかも。
と思って読んでみた。


結論から言うと大丈夫だった。
なんか中学生ん時に感じた読みづらさも全く感じなくて、むしろすらすら読めた。
というか爆笑した。
お前それぜんぶ自業自得だよ!
とかつっこみいれたくなった。

とか、読んでるときは気分は上々だったんだけれども。
なんですかねこの読後3時間ぐらい経ってから来る重たい気分は。
ボディブローのように効いてくるものがある……。
上の豆を食べるシーンを手で書き写したらなんと言うかもうね。
鬱爆弾かこの本。


まあいいや。
中学生の時には感じられなかったユーモアというものも多数感じられるようになっていて、
この本に対する印象が大分変わった。

中でも秀逸なのが友人・堀木の主人公・葉三を呼ぶ時の呼び方。


「色魔!いるかい?」


……爆笑した。
あと主人公と堀木が二人してカフェに行く前のシーン


 葉三「よし、そんなら、夢の国に連れて行く。驚くな、酒池肉林という、……」
 堀木「カフェか?」
 「そうだ」
 「いこう!」
 ということになって二人、市電に乗り、堀木は、はしゃいで、
 「おれは、今夜、女に飢え乾いているんだ。女給にキスしてもいいか」
  <中略>
 「いいか。キスするぜ。俺のそばに座った女給に、きっとキスして見せる。いいか」
 「かまわんだろう」
 「ありがたい!俺は女に飢え乾いているんだ」


なんの決断やねん、と。
それでなんの報告やねん、と。
お前、女の子のいる店に行くってだけでテンション上がりすぎだろう堀木。
葉三も葉三でなにが「酒池肉林の夢の国」じゃ。
お前そんなことしとる場合か。
マジでダメ人間やな。
二人して。



とかね。
不意にこんな笑えるシーンが出てくる。
堀木イイ味出してるww馬鹿www
中学生ん時は完全に世界に入り込んで読んでたから、そんなこと思いもしなかったけどね。
成長したぶんだけ、無条件に作品世界に入り込む力は失われたのかもしれん。
まぁ一本や二本の小説を読んだくらいでいちいち鬱に入っとったら生活が成り立たんからヨシ。
ヨシ子。


夢も将来の展望も現実的な努力もなんもなくて、他人が怖くて道化を演じてて、本心は殻に篭もってる精神的HIKIKOMORIで、誰も自分を理解してくれないんだ!っていう思春期的な内心をずっと持ち続けて、そのくせ女にはもてるという……。
女にもてるHIKIKOMORIってなんだ。
新種か?
どうやったらその特殊能力身につくんだ。
たぶん「威圧感」並に手にいれにくい。
生協に売ってないかな。白石さーん。


良くならない自分の状況を、自分で改善しようという意思もなく、ただ成るに身を任せて、
幸せになってしまったらその幸せが自分を拒絶するのが怖くなって自分でその幸せから逃げ出して、
そのくせまったく現況から逃げるのだけは積極的で、いわゆる「ダメ人間」そのとおりで、
自分に対しては変革も成長も強いない自分に優しい主人公に、
昔は理解も共感もできたんだけどなー……。
まぁ太宰のニヒリズムに100㌫感応してしまえるのは思春期に許された特典というかなんというか。

まあ、その昔に真剣に入り込んで鬱になったという経験があるから、今読んだ時は
「鬱にならないように」と思って身構えて読んでた部分があるから……か?
って今思ったけど「鬱にならないように」って身構えないと読めない本ってなかなか凄いな。



あ、普通に凄いのか。





えーっとまあ、なんだ。
まとめ。

落ち込んでるときに読んではいけない。
死にたくなるから。
バリバリ仕事や勉強をしなければいけないときに読んではいけない。
空しくなるから。

じゃあ一体いつ読んだらいいんだよと言えば、
なんとなく人生が空しく感じられて、ニヒルでダウナーな気分になりたいときにどうぞ。
人生を斜に構えて見たいときには必携の書。
自分は道化を装ってるだけで、世間は互いに騙しあう欺瞞と計算に満ちたものだよねふふふ。
という含み笑いをしたい人に。



道化の皮をかぶるなら、道化を貫いてみろよ。
と思った。主人公に対して。
自分だけがデリケートだと思ってんじゃねえぞこの万年思春期が。

と蔑みに近い反感を覚えるようになったというのは一体、成長なのかなんなのか……
ん?アレか?同族嫌悪。
……違うって。たぶん。そんなにダメ人間じゃ……ない……はず……なんだが……。

素直に作品世界に入り込めなくなったというのは退化なのか……。
単なる自己防衛か……。
人間失格』……別の題をつけるなら『自業自得』だと思う。