明日はもうすこしマシにします

日記のブログです。ヤフーブログから引っ越したので過去記事には不具合があるかも(2019年10月)。見たり読んだりししたものや考えたりしたことを忘れないうちにメモっておこうというもの。ヤクルトファン。

見終わった後階段を駆け上りたくなる映画だった

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ロッキー・ザ・ファイナル』観て来た。
エイドリィヤァァァアアアアアアアンッ!!

 ☆あらすじ☆
元・ボクシングヘビー級世界王者ロッキー・バルボアは、
最愛の妻エイドリアンに先立たれて失意の生活を送っていた。
生活からボクシングは消えていた。
レーニングは寝起きにけんすい(5回)をするぐらいだ。
現在彼にとってのボクシングは、
自らが経営するレストランのお客に話すための、過去の物語でしかない。

息子はサラリーマンになり「偉大なチャンピオンの息子」という先入観に苦しんでいた。
大きな父の影に包まれて、
それが自分の精神的独立を邪魔するんだと憎んでいた。

偉大な世界チャンピオン「だった」男――
その事実が二人にはそれぞれ逆の意味で苦く横たわっているのだった。

ロッキーは、もう一度リングに立つことを決心する。
自分の中に燃え残ったものを始末するために再びボクシングに挑戦することを決めたのだった。

息子は反対した。
世間の笑いものになるだけだ、
ただでさえ「チャンピオンの息子」と嘲られているのにこれ以上余計なことをしてくれるな、と。

「例え負けたとしても――自分の夢に挑戦するのに、何かおかしいことがあるのか?」
父はそう言って再びリングに上がっていくのだった。
相手は33戦無敗の現役世界ヘビー級チャンピオン。
若さと速さ、フットワークではかなうわけがない。
ロッキーはパンチ力をひたすら鍛えることに決めた。
雪の中を走り、
階段を上り、
牛肉を殴り、
やはり生卵を飲む。

勝負の舞台はラスベガス。
倒れても倒れても倒れても負けなかった元王者が、
無敗の王者に挑戦する。

勝ち目は絶望的に薄い。
けれど彼は諦めない。
どれだけ強烈に殴られても無様に倒されても、
勝負を諦めることだけはない。
戦士は、戦うから戦士なんだ。

リングが進むにつれ息子の心も次第にほぐれていく。
若い王者は本気を出してロッキーを倒しにくる。勝負の結末は果たして。






大体そんな感じ。
あ、セリフはうろ覚えなんだ実は。



 ☆感想☆

これだけ王道(ベタ)をいく話を、
奇をてらわずに真顔で作れるからアメリカ映画って素敵。
ひと言で言えば、

この男の生き様は熱いッ……!

という感想を残す中年熱血映画だった。
中年ロッキーがめちゃめちゃかっこいい。
長男がヘタレ。
なんでも前作『ロッキー5』から17年ぶりの新作だったんだとか。
そりゃ腹回りにぜい肉もつきますよね。

前半の失意の生活&復帰を決心するくだりのあたりは正直言って退屈だったけれども、
リングに復帰することを決心してからはとんとん拍子に話が進んで、
クライマックスの試合シーンはもうその熱気と迫力に圧倒されて一気呵成。

昔の熱血マンガみたいな熱いノリで、非常に島本和彦イズムに近いものがあって興奮した。
見終わった後には階段を駆け上がりたくなる映画。
駆け上った後に両手を天高くつき上げたくなる映画。
こぶしを強く握って。
駅の階段でやろうかとしたけどあまりにも人が多すぎて断念した。

途中で「あの」テーマソングが流れるあたりで泣きそうになった。
上の画像見つけたこのページで
http://www.yamaguchi.net/archives/002110.html
その曲が流れ出してきて驚いた&盛り上がった。

不完全燃焼だった情熱を、
もう一度燃やし尽くすというテーマの映画で、
その燃え様があまりにもアツくその熱がこっちまで伝染して、
映画館を出たらやおら階段のぼりとか牛肉殴りとかやりたくなって、
テーマソングを聴けば自然とファイティングポーズをとってしまうという条件反射を残す映画だった。
でもさすがに生卵をジョッキで飲みたくはならない。

やる気ないときに効きそう。
この映画でアドレナリンが出なきゃ嘘だ。
こういうの(島本和彦イズム)実はかなり好きなんだなーという自分を再発見した。

満場の観客がロッキー!ロッキー!呼ぶとこの熱さに日本で対抗し得るには、
もうアントニオ猪木が再びリングに上がるしかないと思う。
『ロッキーのテーマ』≒『炎のファイター』(猪木の入場ソング)
猪木!ボンバイエ!!猪木!ボンバイエ!!


☆気になったところは簡単に箇条書きで。
・ロッキーのリトル・マリーに対する感情がよくわかんない。とってつけたようなロマンス風味。
・さらにその息子ステップスの存在意義が謎。
・昔のチョイ役(らしい)元ボクサーの出番が多いのも謎。シリーズのファンサービスにしても、もう少し別のやり方があるような……。
・元ヒロイン・エイドリアンは墓石での出演。
・パンチー(犬)と一緒にランニングするシーン、明らかに犬がイヤイヤ走ってる。
・復帰して「地元の試合でも…」とロッキーが言ってるのに、現役王者との対戦がきまるのが簡単すぎ。
なんともご都合主義的。
マイク・タイソン(本人)が出てて普通に驚いた。
・ライセンス申請の時には「身体はすべて良好」だったはずがその後「首と膝に不安が…」ってアレ?
・上の「アントニオ猪木」を変換したら「アンと匂いの気」というアクロバティックな誤変換が出てきて驚いた。アンって誰。そして匂いの気って一体……。


えーと後は……ああつまりロッキーの心理状況に見るアメリカ人の精神構造というか……
「もう一度リングに上がって闘いたい」
っていうロッキーの気持ちはこれはつまりエゴなんですよね。

そのエゴを息子は
「俺もあんたも笑いものになる、やめてくれ」
と迷惑を蒙ると言ってるんだけども、
息子に相談した意味が果たしてあったのか普通に復帰する。

ロッキーが復帰して再びリングに上がるのは「現状がなんかイライラする」というか、
「安住するのは違う気がする」というか「胸に燻ぶっている物があって、それが我慢できない」というような
すべて自分の気持ちと現状とのギャップというかジレンマに決着をつけるために復帰を望んでる。
それでリングに上がって、諦めずに闘う姿を見せて息子は改心するんだけども、
その
「自分の欲求を突き通して、エゴを追求してエゴ以上のものに昇華する」
っていうあたりがこれは実はとってもアメリカ的なんじゃなかろうか。
と思った。

すべて「自分」がはじまりというか、
「自分」がどうしたいかというのがなによりも尊重されるべきである、っていう態度が。

不言実行」を美徳とする日本人とは逆に、
言いたいことは全部口で言うっていうあたりも実にアメリカ的だった。
強く思ってることはそのまま強く大声で言うあたりとか。
アメリカの「男とはかくあるべき」っていう典型の一つがロッキー・バルボアという男なのかもしれん。
challenge spiritとnever give upの精神を人生の基盤に置いているような。
日本だとやっぱり……高倉健かな?『鉄道員』の左藤乙松とか。


何を言っているかよくわからない人がいるかもしれないけれども、
言っている方だってなんだかよくわからなくなってきてしまっているのでおあいこだ。



☆まとめ☆
・熱血中年ボクシング映画(島本和彦イズム)
・スタローンかっこよすぎる
・なんか細部に雑な感じが
・エイドリアン徹頭徹尾墓石
・テーマソング最高に盛り上がる
・人生ってのは世の中で一番重いパンチなんだ(うろ覚え)
・怖いときこそ強気でいろ(同上)
・エンディングのいろんな人が階段上るって演出はいい
・シルベスタ・スタローンの元気が出る映画
・階段駆けのぼりたくなる症候群
・多分誰にでも、やっぱあるはずなんだ「ナァナァ」で終わっちゃった夢が



大体そんな感じ。
なんか長くなってしまった。
まぁそれだけ面白かったってことですね。

ゴールデンウィークも終わった\(^o^)/……
あしたっから学校だー。
がんばるぞーお……ハァ……。

一年中が五月病DA☆ZE!